ハンドバッグ 5

 山口瞳先生に「新東京百景」という1冊がある。昭和63年2月に新潮社より刊行されて、ぼくもすぐ買って読んだ。もちろん、初版本である。しかし、この本は、有金君にあげてしまった。山口先生の本は、一時はすべて初版で持っていたが(「血族」までだったかもしれない)、なにかの拍子に全部処分してしまったので、この1冊だけを取っておいても仕方がないとおもったのだ。いま、手もとにあるのは、平成5年4月25日発行の新潮文庫である。文庫でも初版にこだわるのは、雀百までのたとえのとおりである。
 この本の「第十三景 竹芝桟橋と帝国ホテル」の章に、当日の出立ち(ヴァレンタインのセーターだとか、エルメスの皮のブルゾンだとか)を列記したあと、編集者の臥煙君を相手にポシェットを自慢するくだりがある。
『なかでも自慢はポシェットである。相手が最初に目につくのはポシェットである。ヴァレンタインもエルメスも黒であって、一見なんの変哲もない代物である。まずポシェットで驚かさないといけない。これが馬鹿馬鹿しく高価なものであった。
「これ、幾らすると思う? 銀座のフジヤマツムラで買ったんだ。信じられないくらいに高いぜ」
 と、僕は臥煙君に言った。
「さあ……」
「思いきって言ってごらんなさいよ。めいっぱい高く……」
「五万円!」
「なかなか、そんなもんじゃない」
 臥煙君が軽蔑と羨望の眼差で僕を見た。
「五十万円!」
「そんなに高くない」
 取材のため仕事のためと思って涙を呑んで高い買物をしたのである。やっぱり、いいものはいい。金の留金は燦然と輝くのである。』
 ぼくは、山口先生が来店されて、このバッグを買われたときのことを憶えている。イタリー製のフォンタナというメーカーのチンギャーレのポシェットだった。チンギャーレというのは、豚と猪のミックスの皮で、だからイノブタと呼ばれていた。小さなものは小銭入れから、大きなものは旅行用の鞄まで揃っていた。色は、モスグリーンと黒とあって、パイピングの色はどちらも明るい茶色だった。山口先生が選ばれたのは、モスグリーンのほうだったとおもう。通称弾丸入れと呼ばれる、猟銃の弾を入れておくショルダーバッグで、当時、このタイプのバッグを斜め掛けするのが流行っていた。
 山口先生は、何度もバッグの名前を確かめると、チンギャーレという皮の種類は、メモ用紙に書き留められた。
「猪と豚のあいのこで、チンギャーレというのか。ふーん、 イノブタね。なるほど」
 この格好で取材に行った先は、竹芝桟橋にあったカフェバーやゴーゴーバーだった。うまくすれば高層階からの眺めが描ける、と山口先生はおもっていた。ところが、行った先々で、入店を拒まれてしまうのである。
「ああそうですか。わかりました。出て行きますよ」
 ハーバー・ライツが駄目ならトーキョー・ベイ・ゴーゴーがあるさ。
 しかし、そこでも拒絶される。そして、憤慨して慨嘆して、そっとつぶやくのである。
「ああ、七万八千円のフォンタナのポシェットなんか買うんじゃなかった。大損害だ」
 こうして、取材は大失敗に終るが、山口先生にとっては失敗こそが成功なのだ。なぜなら、この1冊は、東京の風景にかこつけて、山口瞳という作家自身を描く私小説なのだから。