ハンドバッグ 6

 神田淡路町に、昔、箱屋さんがあった。小田部氏(仮名)といって、古くからの顧客だが、日本橋高島屋に帳合があって、買い物はほとんど高島屋のほうでされていた。 ぼくが高島屋2階特選にあったフジヤ・マツムラの支店に出向すると、すぐに呼び出しがかかった。高島屋の職員が、お客様が紳士服のオーダー・コーナーでお待ちですよ、と教えてくれたのである。
 さっそくそこへ行くと、小田部氏らしい人の背中が見えた。向こうを向いて、紳士服の担当者と談笑していた。ぼくは、話をさえぎって、声をかけた。小田部氏がふり返った。
 小田部氏は、小柄で、すこし禿げ上がっていた。まんまるな目に眼鏡をかけていて、鼻はちんまりとして見えた。ぼくは、名前を名のって、ご挨拶した。
「ああ、わざわざいらしてもらって、わるかったですね。いやね、用事で来てみたら、フジヤさんで人が交替したってきいたから、じゃあ、お会いしておこうかなとおもってね」
 小田部氏は、ちょっとハスキーだが、滑舌のはっきりした伝法な東京弁だった。あとになってわかったことだが、神田っ子によくあるはにかみと鼻っ柱の強さを、小田部氏も併せ持っていた。ぼくを紳士服のコーナーへ呼び出したのも、照れの現れだったのだろう。
「出向で来て、心細いかもしれないが、なに、大丈夫、あたしがついてます」
 ぼくが日本橋に勤務してすぐに、フジヤ・マツムラコーナーを顧客に売り込むためのイベントが催された。イベントといっても、メインの売り物を大々的に飾りつけてアピールするだけのことだが、顧客に案内状を郵送して、その期間にぜひご来店くださるよう呼びかけるのである。
 小田部氏は、初日にいらした。それも開店と同時にやってこられた。
「ご案内、ありがとうございます。なにか、おつき合いしましょう。お顔を立てなきゃね。ここに並んだ品で、いちばん高いのはどれですか? ああこれ。大きな鞄ですね。旅行鞄なの? そうでしょうね、大きいもの。普段は持って歩けないやね。夜逃げでもするのかとおもわれちゃう。でも、いいでしょう。これ、ください。これ、いただきます。外商に、そういって回しといてください」
 ぼくが銀座に戻ってからも、小田部氏はぼくを贔屓にしてくれて、銀座の店に顔を見せるようになった。ワイシャツを担当するようになると、ワイシャツを作りにくるようになった。ただし、売り上げは日本橋高島屋回しで、外商の帳合で精算したから、ぼくの売り上げにはならなかった。
 数年後、小田部氏が外商で評判がわるい、という噂を耳にするようになった。支払いが滞って、外商がサインを渋っているという話だった(伝票にサインをすれば、当然、商品は小田部氏の手もとに届けられるが、入金がなければ外商が困ることになる)。そういえば、小田部氏は、しばらく銀座に顔を見せなくなっていた。
 ワイシャツのカラーの具合がわるい、と小田部氏からクレームをつけられたのは、そんなときだ。どうも要領を得なかったが、カラーの前が上がりすぎている、ということらしかった。職人は、同じ型紙でこしらえていますから、そんなことはないんですけどねえ、と首をかしげた。そういうと、ちょっとムッとしてぼくを見たが、あなたがそういうなら、もういいです、といって、それ以上は追求されなかった。
「それで、もう来ないよ、なんてことになると、困ります」
 ぼくは、小田部氏にそういった。小田部氏は、ニヤッとすると、冗談じゃない、といった。
「神田っ子は、黙って来なくなっちゃうなんてことは絶対しないよ。それより、気が済むまで文句をいうのが神田っ子だよ」
「そうですよねえ」
 神田っ子の荻馬場さんが、大きく相槌を打った。
 神田淡路町から小田部氏が姿を消したのは、それから間もなくのことだ。夜逃げ同然だったときいた。
 小田部氏が、あのときの大きな旅行鞄を小柄な体に抱えて、眼鏡の奥でまんまるな目をキラリと光らせてから、闇の中に消えていく姿が目に浮かんだ。あのバッグは、たしか、イタリーのザノベッティだった。