番外篇 靴

 机のなかを片付けていたら、「銀座百点」(No.630、2007年5月1日発行)という小冊子がでてきた。「銀座百点」は、銀座の一流の老舗が会員になっている銀座百店会という組合が発行しており、なかなか根強い人気を誇っている。表4(裏表紙のこと)に空也さんの判が捺してあるから、最中を買いに寄ったとき、ついでにもらってきたものだろう。
 手に取ってペラペラやったが、どのページも読んだ記憶がなかった。どうやら、持って帰ってそのまま引き出しにしまい込んでしまったもののようである。ぼくは、それを、いったん屑箱に放りこんだ。それから、思い直して屑箱から拾いあげると、「銀座俳句」のページを開いてみた。最近、俳句に関心があるからである。1年遅れで、しかも春先の句が載っていた。
 次に、ついでだから目次を眺めると、海老沢泰久氏の名前が眼に入った(海老沢氏の著書は、ぼくはあいにく読んではいないけれど、ある理由からまるきり関心がないわけでもないのです)。「今月のエッセイ」というページに「五百円スニーカーとの別れ」と題するエッセイを寄せていた。
 あるとき、海老沢氏は、新橋駅の構内でスニーカーの安売りを見つけ、五百円の紺のスニーカーを買った。たまたま、山口瞳先生が紺のスニーカーをはいているのを見て、
『「山口さんのもこれと同じですね」というと、「バカ、おれのは○万円だ」と一喝された。山口さんのスニーカーはバックスキンだった。』(それは、スイスのバリーのヌバックで、金額も海老沢氏のとは2桁違っていました。フジヤ・マツムラでおもとめいただいた靴です)
『その山口さんに、銀座の洋品店でネクタイを買ってもらったことがある。それから十年以上して、その洋品店から独立してワイシャツの仕立て屋をはじめたという人から挨拶状をもらった。そこには、ぼくが山口さんと一緒に洋品店を訪れたことと、そのときあまり立派とはいえないスニーカーをはいていたことがしるされていた。ぼくはその独立した人を覚えていなかったが、その人はぼくの立派でない、たぶん五百円のスニーカーのことまで覚えていたのである。きっと、そんなスニーカーをはいて銀座の高級洋品店に出入りする人間はほかにいなかっただろう。』
 ぼくは、え、とおもった。これって、ぼくのことじゃないか。ぼくは、ぼくのことが書かれたエッセイの載った小冊子を、1年半も机に放りこんだあげく、とうとう読まずに捨てようとしたのか。しかし、待てよ、結局、ぼくは、こうしてちゃんと読んだじゃないか。だから、というのもなんだが、偶然とか運命というのは恐ろしい。というのは、こちらのほうでも海老沢氏のことをダシにしていたからである(註、2006-05-14「靴」参照)。ただし、ぼくの記憶では、海老沢氏がはいていたのは「ドタ靴のような茶色い革靴」だった。
(これで本年の「ギンザプラスワン」はおしまいです。今年も1年間、ご愛読、ありがとうございます。また、来年もよろしくお願いいたします)