ハンドバッグ 18

 銀座のピカ一洋服店の永田さん(仮名)が、しゃぶしゃぶの肉をおかわりしながら、いった。
「うちの女子社員にオオイさんという名前の人がいるんですけど」
 大阪なんば高島屋での催事に出張していたときのことだ。いっしょに展示会に参加していたピカ一洋服店の社員たちと、一夜、食事をともにすることになった。行った先は、大阪に来ると永田さんがかならず1回は行くという、食べ放題のしゃぶしゃぶの店だった。
「われわれは、オオイさん、オオイさんて呼んでいるけど、ほんとうはオオイノミカドという名前なんです」
「へえ、どんな字を書くんですか」
 と、ぼくはきいた。
 永田さんは、ぼくからボールペン(ビックの白とブルーの軸の太字の4色)を受け取ると、割り箸の袋に書きはじめた。
「大きいという字に、炊飯の炊を書いて、オオイ。それにゴモンて字、御門でミカド。大炊御門」
「なんだか、すごいな」
 釜本次長が、しゃぶしゃぶの肉を口いっぱいに頬張りながら、感心した口調でいった。
「すごいでしょ? 立派な名前ですよ」
 永田さんが、自分の名前をほめられたように、うれしそうに笑った。
「だけど、仕事をしていて、長い名前は面倒だから、みんな、オオイさんて呼んでるんですよ」
「ずいぶん、由緒のありそうな名前ですね」
 と、ぼくがいった。
「なんでも、藤原時代から続いているそうで、お公家さんだっていうけれど」
 そのあと、永田さんは、ものすごい勢いでしゃぶしゃぶの肉をおかわりした。もう食べられない、という限界を越えても、意地になって口に運んでいるように見えた。
 翌朝会ったとき、永田さんは浮かない表情をしていた。
「いつも、あそこで、目一杯肉を食うでしょ、もとを取ってやれとおもって。そうすると、1カ月くらい、肉の顔を見たくなくなっちゃうんですよ」
 註:大炊御門家は、清華家の家格を有する公家。関白藤原師実の三男、経実にはじまる。大炊御門北、万里小路東に邸宅があったので、大炊御門と称する。家の業として、筆道、和歌、笛、それと装束。江戸時代の家禄は、約400石。家紋は、菱に酢漿草(かたばみ)。明治時代、侯爵となる。
 大炊御門大路は、現在の御前通と西土居通りを結ぶあたりと推定されている。
(今回は、ハンドバッグではなく、ハンドブックになってしまいましたことをお詫びします)