職人

 ハンドバッグのメンテナンスは、だれでも簡単にできる。
 オリジナルのハンドバッグは、店では特選と呼んでいたが、これは職人の高梨さんの仕事だった。
 高梨さんは、陸軍の工兵隊で、おもに橋をかけたり、貨物列車の線路を敷いたりしたらしい。
 レールのわきに等間隔に兵隊がならんで、号令にあわせてレールを持ち上げ、行進するように整然と運ぶさまを、仕方話でしてくれたときには、おかしくて腹がよじれた。本人は痔がでたりして、戦争はよくないといった。
 終戦後、シベリアに抑留されて、苦労して帰国した。それからずっとハンドバッグや革製品をこしらえてきたのだろう、一種の名人だった。いま有名なハンドバッグ職人の多くはこの人の弟子筋にあたる。高梨さんのバッグに子牛の皮を使ったバッグがあるが、やわらかくて軽いので、年配の方には重宝がられた。ただ、口金ががまぐちタイプなのと、デザインが和風っぽかったから、若い方にはあまり向かなかったかもしれない。
 ハンドバッグは、しまいこんでおくと、カビがはえたり、皮がしめったりするから、ときどきは風通しのよい日陰に置いて、風をあてたり油を塗ったりしてあげなくてはいけない。もしカビがはえたら、よくしぼった布で何度もきれいにふいて、薄く油をひいてあげれば、たいていはきれいにもどる。仕上げ直しを頼まれた場合、高梨さんにまわしてもこれと同じことをするだけである。もっとも、高梨さんは専門家だから、まだ奥の手があるかもしれない。
 ところで、高梨さんは職人だから、どんな些細な仕事であっても、お金をとる。サービスなんてことはない。職人は、只(ロハともいいます)では仕事をしないし、原価を割る仕事もしない。お金をとれない職人は、職人ではないのだ。プライドといってもいいかもしれない。
 特選の古いハンドバッグが目の前に置かれた。
「ずいぶん前のだけれど、まだ持てそうだから、きれいにしてよ」
 と、その年配の女性はいった。
 箱に入れてしまいっぱなしにしておいたら、うっすらとカビが浮かんでいる。さあ大変、とおもったが、あなたのところのものだから、きちんと元通りにしてくれるとおもったの、とおっしゃった。
「安くしてよ」
 仕上げ直しをするにしても、高梨さんでは高くつく。クリーム代だけいただいて、ぼくがやってみることにした。もちろん、そんなことは先方にはないしょである。やってみると、門前の小僧で、案外簡単にきれいにできた。女子社員に、じょうずですねえ、とかほめられて大いに気をよくした。仕上げにクリームを薄く塗って、油のしみた子羊の毛皮(こういうハンドバッグ磨きがあるんです)で丁寧に磨き上げて、さあ、終わった、とおもってがまぐち式の口金をパチンとしめたらぽろりと欠けた。みんなの目がまるくなった。ぼくは、すうっと血の気がひいた。
 高梨さんは、電話の向こうでおかしそうに笑った。
「だいじょうぶだよ、ちゃんと直してやるから。あんただったら、口金代だけでいいよ」
 自腹を切って、口金代を払った。もともと高いバッグだから、口金もけっこうばかにならなかった。もっとクリーム代を高くいっておけばよかった、とおもったが、あとの祭りだ。高梨さんは、工賃はいらない、といってくれた。「あんたから金はとれないよ」
「まあ、きれい。すっかり新品ね」
 と、年配の女性客はよろこんでくれた。まあ、すくなくとも口金だけは新品だ。それから、その年配の女性はおもむろにいった。
「残ったクリームは返してね、わたしのだから」
 ハンドバッグのメンテナンスは、ひとのものでなければ、ぼくにだって簡単にできる。