お手伝いさんor奥様

昭和50年代には、まだお手伝いさんのいるお宅が結構あった。
 京都で最初に挨拶回りをしたときは、はじめてお目にかかる方ばかりで、まるきりお客様の顔を知らずにご案内状を届けてまわった。左京区鹿ヶ谷、法然院の近くのT様のお宅は、伺うといつも年配のくたびれた女性が受け取りに出てきた。砂糖部長から、お客様の家ではきちんとご挨拶しろ、ときびしくいわれ、出発前に練習までさせられていたが、あまりにばかばかしいので、自分流にアレンジして口上をのべた。
 砂糖部長は、口うつしで、こんなふうにいえといった。
「毎々、格別のお引き立てをたまわりまして、まことにありがとうございます。さて、このたびは、京都高島屋におきまして、何々と申します展示会を催しますので、ご案内状をお届けにまいりました。ぜひ、ご来店たまわりますよう、お待ち申しております。当日は、ヨーロッパから選りすぐりの商品をお持ちいたしますので、なにとぞごらんくださいませ」
 だいたい、いまどき、「毎々」という書き出しの文章だって珍しいのに、いくらご挨拶にしろ、話し言葉に使うかね。せいぜい、「毎度」でしょう。
 ちゃんと自分で体験してみればわかるけれど、こんなくだくだしいことを玄関先でいわれたら、先方はうんざりするばかりである。勘三郎さんでも来てくれて、こんな口上をのべてくださったら、そりゃあうれしいでしょうけど。いそがしいときに、ばか丁寧な挨拶は迷惑だし、慇懃無礼そのものだ。
「いつもお引き立て、ありがとうございます。展示会のご案内状をお届けにまいりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
 これでいいじゃないですか。そしてぼくは、顔見知りの方のときは、「どうぞお遊びにいらしてください」と付けくわえた。展示即売会に遊びにくることは、買い物しにくることなのだから。お手伝いさんのときは、「奥様によろしくお伝えください」と付け足した。
 年に2回、春と秋に京都の展示会はあった。だから、3年もすると、お家の方もお手伝いさんも、すっかり顔馴染みになった。法然院近くのお屋敷の、あのちょっとくたびれた女性も、顔をおぼえてくれて、会うと笑うようになった。大柄で、色が黒く、四角い顔で、力がありそうだった。大きな庭だから、こういう人がいてくれれば、掃除でもなんでも心強い。松の木の枝くらいは、切ってくれそうだった。ぼくは、いつも、奥様によろしく、という言葉を欠かさなかった。
 その年の展示会のとき、昼食をおえて会場にもどると、奥様のおともできたのか、法然院そばのお手伝いさんの姿があった。ぼくは声をかけようと、気安く近寄って行った。そのとき、試着室のなかから釜本次長が飛び出して、「試着のご用意ができました」といった。お手伝いさんは、ぼくの顔を見てにっこりすると、試着室に入って行った。ぼくもなんとなくにこにこ会釈した。カーテンがしまると、次長がぼくにすり寄って小さい声でいった。
「きみがいつも挨拶に来てくれるのでわるいからって、久しぶりにみえたよ、T様の奥様」