銀座百点 号外82

 少年は、ようやく一人で歩けるようになった。
 骨のまわりの肉は、すこしも増えない。ゆっくりと、すこしずつ、いまにも倒れそうな危うさで歩いてゆく。均衡が崩れかかると、少年は立止り、だらりと下げた両腕の手の甲をぐっと上に反らせる。そうやって、均衡を取戻そうとする。
(中略)
 みどり色のガウンを、少年は着ていた。(中略)前をゆるやかに合せているので、少年の恰好は、だぶだぶのみどり色のマントを羽織っているようにみえた。
(中略)
 その日、少年は病院の庭を散歩していた。


 少年は、おぼつかない動きでポケットからキャラメルの箱を抜き出す。少年は、ちょっと酒でも飲んでみせたい年齢である。それが、人目を避けてキャラメルの粒をつまみ出そうとしている。そんな自分を、面映くおもう。それで、わざと笑い顔を作ってみた。


 キャラメルの粒は、箱の底の法にすこし残っているだけだった。(中略)その指先にキャラメルの粒をひっかけ上げようとする。その指先の動きが、少年の全身に伝わってゆき、躯がぐらりと傾く。


 おもわず均衡を取り戻そうとして、少年の躯は、いったん、ねじれたようになり、元の位置に戻った。そのとき、視界の端に人影をみたような気がした。


 首をまわした少年の眼に、少女の姿が映った。(中略)少年と眼が合ったとき、少女の顔に戸惑った、怯えに似た色が走った。
(中略)
 全部見られたな、とおもった。少女には見覚えがある。見覚えがある、という言い方では足りない。時折、ぎこちなく言葉を交したこともあった。
「お見舞にきたの」
 このときは一層ぎこちなく、少女は言った。そして、少年の友人の名を告げ、見舞に行くようにすすめられた、と言った。
「でも、そんなにお悪いとは、おもわなかったの」
 少女は眼を伏せ、弁解するように言った。
「悪い? でも、あいつが来たときは、まだ歩けなかったのですよ」
 あいつ、とは、友人のことである。
「あいつ、そう言わなかった」
「ええ」
 少女は、それだけ言って、口を噤んだ。少年は、あらためて友人の悪意を感じた。憎んでいたのか、とおもった。この少女を愛していたのか、とおもった。そして、いままではこの少女はたしかに自分に好意を持っていた。そう、いままでは。