銀座百点 号外84

 翌日、寄宿先の台秤に載った少年は、また自分の体重が増えているのを知る。その次の日も、体重は増えた。じわじわと肥ってゆくのが、手にとって見えるような気さえした。どこまで肥るのか、自分でも不気味におもえた。肥りはじめてから二十日目(すなわち、この家に来てから二十日目)に、少年の体重は二倍になった、そして、その日で肥るのが止まった。


 親戚の人が、大きくふくれ上った少年の躯をみて、笑いながら言った。
「まるで手品をみているようだね。骨と皮だけの人間を土蔵に入れて蓋をする。二十日経って、ハイッと懸声もろとも蓋を開ける。中から、二倍にふくらんだ人間が出てくる。よっくおあらためください、種もシカケもない、別の人物ではありませんよ」
 その笑いは、素朴な笑いだった。少年の目ざましい回復ぶりに驚嘆している顔つきでもあった。
「別の人物ではありませんよ」
 その言葉が、少年の気に入った。たしかに、別の人物である筈はない。骨だけになっても、二倍に肥っても、自分は自分だ。(中略)しかし、体重計に載ったとき、自分の目方を両腕に抱き取りたいとおもった心持は、いまは無くなってしまった。
「それに、これは回復と言えるのだろうか」
 布団の上に横たわり、あちこちの筋肉を動かして、少年は二十日前の自分を思い出そうと試みた。筋肉を動かす度に、思い躯が布団の中に、のめり込んでゆくような気がする。
 少年は、一つの異常な状態から、べつの異常な状態に移行しただけのような気持になった。


 それからまた二十日ほど経って、少年はこの土地を離れた。元の場所、自分の家に戻ってきた。
 少年の躯は、発熱する以前の形に戻っていた。二倍に肥った躯からは、しだいに肉が取れて、元通りの形になったのである。

 久しぶりに、学校へ行った。あの友人は、少年の姿をたしかめるように眺め、
「すっかり良くなったね。今だから言えるけれど、見舞に行ったときはびっくりしたよ。とても、君とは思えなかった」
「うん」
 少年は、短く答えた。
 校庭の砂場の前には、少年たちが集って、高く跳ぶ競争をしていた。少年は、その方角へ歩いて行った。
 少年は、ためらいがちの足取りで歩いて行ったが、不意に勢よく走り出した。砂場の前で、強く地面を踏みつけると、跳躍の姿勢になった。
 しかし、水平に架け渡された横木は、少年の腰のあたりに当って、落ちた。
「前は、高く跳べたのに」
 いつの間にか、友人が少年の傍に来ていて、そうささやいた。
「しかし、すぐに高く跳べるようになるよ。長い間、寝ていたのだからムリないさ」
 そうかもしれない、そう考えるのが当然だ、と少年はおもった。病気で、痩せ、異常に肥り、そしてようやく元に戻った。その間、使わなかった筋肉が衰弱した。ただ、それだけのことだ。
「しかし」
 と、少年は心の底で考えていた。
「もう、高く跳ぶことはできないだろう」
 そして、自分の内部から欠落していったもの、そして新たに付け加わってまだはっきり形の分らぬもの。そういうものがあるのを、少年は感じていた。
(昭和三十六年一月「群像」)