銀座百点 号外89

 その書物は、M・Mの書棚に並んでいた。昭和十三年発行、定価八十銭というオクヅケの文字があり、彼女はそれを古本屋で買ってきたという。そして、その書物も、普段のときの私ならば見逃していただろう。たとえ手にとって開いてみても、その中から語りかけてくるものは無かったに違いない。この書物の目次に並んでいる文字、あるいは中身の童謡の文句に触発されて、私は幾つかの短編を書いた。「寝台の舟」の中に挿入されている童謡はスティーブンソンであり、マザア・グースの「上着の焼け穴」という題と同じ短編を書こうと試みたが、これは結局「海沿いの土地で」という作品になった。
……M・Mとのことで、私は作家としても人間としても成長したとおもっているが、私の生活はそのために困難なものになった。それは二人の女に挟まれてヤニ下がっているようなものとはまるで違ったものである。死んだらラクになる、とはしばしばおもったが、しかし死のうとは決しておもわなかった。


 同じ「昭和34年(1959)35歳」の章に、「某月某日」という題で、四日分の日記が載っている。


 某月某日(註:三日目)
 午前十時起床。税務署より電話あり。「コチラハ税務署デスガ」と男の声がいい、テレたような笑がひびいてくる。おそらく、その本ものの税務署員は、遠藤周作が税務署員になりすましたニセ電話で小生をだましたという、ゴシップ記事を読んでいるにちがいない。税務署員をテレさせるとは、遠藤も罪な男だ。午後二時まで、ドラマの原稿を書き、脱稿。夕刻より、R社の座談会に出席。臼井吉見三宅艶子、渡辺道子の諸氏と同席。一人ではしご酒をして帰宅。
 十一時就寝。午前二時、家人に起こされ、陣痛を訴えられる。タクシーをひろい、高樹町日赤病院に入院させる。午前三時帰宅。
 某月某日(註:四日目)
 午前九時起床。本日より一人ぐらしである。昨日のミソ汁ののこりに、餅を入れて食う。CBCのドラマ「夕焼の色」を推敲、速達で送る。
 午後三時半、病院より電話。女児出産。病院へ行く。母体の方は、難産で出血多量、血圧が下がったためショックを起こしているので、輸血をする。午後七時、一応帰宅、疲労甚しく、横臥して回復を待つ。九時、病院へ行く。家人は病室へ戻っており、案外元気であった。安岡夫人が見舞にきてくれる。十時帰宅。
(この日記は、活字になる前提のもとに書いているものなので、ここに書くことのできない、いくつかの事柄のため、思い屈し)このあんばいでは、小説は出来上がりそうもない、とおもう。