銀座百点 号外88

「昭和34年(1959)35歳」の章に「私の文学放浪」からの抜粋が載っている。


 M・Mに出会ったことは、作家の私にとっては幸運であったといえる。小説の材料を掴むために、私が彼女に接近を計ったのだという噂(文壇関係の噂ではない)を聞いたことがあるが、その噂はもちろん間違いである。そういう愚かなたくらみを持つ人間は、おそらく小説家にはいないだろう。なぜなら、そういう形で書いた作品はロクなものになるわけがないのだから。
 私はM・Mに惚れたのであり、惚れるということはエゴイズムにつながる部分はあるが、功利的な気持は這入りこむ余地はない。三十四年の私の作品「鳥獣虫魚」の評で、小島信夫が「作者の青春が復活した」という意味のことを書いたのを記憶している。たしかに、一人の女性に惚れたという情況が、私の文章にうるおいを持たせた。そのことを、言葉を積み重ねて作品をつくりながら、私ははっきりと感じていた。
『世界童謡集』という古ぼけた一冊の本が、いま私の机の上にある。その中の一つに獣鳥魚虫(けものとりうおむし)という題の歌がある。アデレイド・オ・キーフェとかいう人の作であるが、前記の私の作品の題はここから採った。いや、題だけではなく、その「獣鳥魚虫」という四つの文字を眺めているうちに、私の中にさまざまのイメージが膨らんできたのである。その歌の内容は「犬は呼ばれりゃやって来る。猫は呼んでも逃げて行く。猿のほっぺはまんまるい。山羊はほんとに遊び好き……」といった風のもので、私の作品とは何の関係もない。そのときの私にとっては、四つの文字だけで十分だったわけだが、普通の心理状態のときだったら、おそらくそのまま見逃してしまった文字に違いない。
(つづく)