銀座百点 号外86

「童謡」が収録された「吉行淳之介全集」第四巻の月報に、「第四巻について」という短い文章が載っている。
「この集の最後の短編は、四十二年七月号掲載のものである。以来、四十三、四、五と三年間、一作も短編がない。四十六年一月からようやく掌小説を書きはじめたが、それはこの集には収めていない。
 便宜的に、作品群を初期中期と分けてゆくと、「娼婦の部屋」から私の短編は「中期」に入ったようである。この作品や「寝台の舟」や「鳥獣虫魚」などが、私の短編の代表作のようにいわれているが、書いた当時は出来不出来の按配が一向に分らなかった。
 作品を書き上げたときに、一応の客観的判断ができるようになったのは、「風呂焚く男」あたりからだ。」


「風呂焚く男」は、昭和三十七年七月「文芸」に掲載されている(「娼婦の部屋」は、昭和三十三年十月「中央公論」掲載である)。吉行淳之介は、短編「薔薇販売人」(昭和二十五年一月「真実」発表)を「散文としての処女作といってよいもの」といっているから、判断がつくようになるまでに十二年かかったことになる。「童謡」も、当然、出来の良し悪しがわからぬ期間に発表されたことになる。
 ところで、吉行淳之介は、その後内縁関係となる宮城まり子と昭和三十二年十一月に知り合っている。雑誌「若い女性」の鼎談「ファニー・フェース時代」の席で、もう一人は写真家の秋山庄太郎だった。
 翌三十三年から、吉行淳之介宮城まり子は密かにつき合いはじめる。同時に、代表作といわれる短編作品を次々と生み出すようになる。それまでにも、けっして品行方正とはいえない生活を送ってきた吉行淳之介芥川賞の候補に毎回上がりながら、生活態度をうんぬんされることが少なくなかった)が、本当の意味で不良となったのは、このときからだとぼくはおもっている。