銀座百点 号外93

 車の次は、M・Mのことも書かなければならない。彼女のことは、「闇のなかの祝祭」「赤い歳月」「湿った空乾いた空」などの吉行作品を読んだ方ならご存じの筈。そして、三十六年、三月から九月末までかかって書きあげた「闇のなかの祝祭」が、誌上を飾った時、某週刊誌がスキャンダル記事にした。
 それから十年後、「湿った空乾いた空」を雑誌に連載した時、第一回目に吉行はM・Mの本名を書いた。そんなことで、某女性週刊誌の餌食にされた。だから、周知の事実として、説明は省略する。ただ、このM・Mの件と車の関係は、まったく密着しており、つまり車の歴史は、又吉行とM・Mとの歴史と重なるのだ。


 余談だが、「吉行淳之介エピソード集」の作者、山本容朗は元角川書店の編集者である。当時、新書判ブームが巻き起こっていたが、山本も小説の新書判の担当だった。そこで、芥川賞をとった吉行淳之介に、雑誌連載中の連作小説「焔の中」をいただきたい、と手紙を書き、「あの作品はすでに新潮社にきまっているが、短編なら一冊まとまるから、話にこないか、といった内容の手紙をもらい、市ヶ谷の自宅へ訪ねていった。」そして、「そんな経過で、『悪い夏』が出」ることになり、以来、吉行との親交がはじまった。ごく身近から眺めた吉行淳之介のエピソードやゴシップを得意とするのもむべなるかな、である。
(つづく)