銀座百点 号外69

 一九五四年(昭和二九年)三〇歳
 一月、「治療」(「群像」)を発表。左肺区域切除の手術を受ける。二月、「驟雨」(「文学界」)を発表。五月、原因不明の高熱と喘息発作により重態となる、六月、「薔薇」(「新潮」)を発表。七月、「驟雨」により第三一回芥川賞受賞。病状悪く、授賞式に出席できず。一〇月、退院。


 一九五五年(昭和三〇年)三一歳
 「たまたま芥川賞を受けたので、文筆で生計を立てることに決心した。もともと文学で生計は立ちにくいと考えていたし、自分の文学的才能の型からみても生計は立ちにくいと考えていたのであるが、それより他に方法のないところに追いこまれた」(自筆年譜)。二六年発表の短篇を長篇「原色の街」に改稿。一月、「黒い手袋」(「文学界」)、二月、「夜の病室」(「新潮」)、三月、「因果物語」(「文芸」)、四月、「焔の中」(「群像」)、五月、「水の畔り」(「新潮」)、六月、「夏の休暇」(「文学界」)、七月、「軽い骨」(「文芸」)、八月、「重い躯」(「別冊文藝春秋」)、一一月、「夕焼の色」(「小説新潮」)、「漂う部屋」(「文芸」)、一二月、「墓地のある風景」(「新女苑」、「墓地」と改題)他を発表。


 一九五六年(昭和三一年)三二歳
 この年もほぼ病臥。体力不足のため一日に二、三枚ずつ小刻みに書く。二月、「水族館にて」(「婦人朝日」)、三月、「藺草の匂い」(「新潮」)、四月、「華麗な夕暮」(「群像」)、五月、「悩ましき土地」(「小説公園」)、七月、「梅雨の頃」(「文学界」)、八月、「悪い夏」(「新潮」)、九月、「花嫁と警笛」(「オール読物」)、一〇月、「決闘」(「別冊文藝春秋」)、一二月、「さまざまな眉」(「別冊文藝春秋」)他を発表。