2009-01-01から1年間の記事一覧

着信アリ

綿貫君が花屋の店舗を探しているときだったとおもうが、九段の千鳥ヶ淵沿いの道を雨の夜に歩いたことがあった。 あの道は、いまではどうだか知らないが、夜になると、距離をおいてポツンポツンと灯る電灯しかなくて、それも電灯の真下ばかり照らしていたから…

夜の電話

中村裕次郎から電話がきた。20年ぶりのことである。 中村裕次郎は、中学3年のとき同じクラスだった。当時、「中村」といえば、すぐさま「錦之助」と答えが返ってきた。「裕次郎」は、もちろん「石原裕次郎」である。どちらもまだ人気絶頂の時代だった。中村…

コート 23

税理士の花器沼先生とばったり出くわした。日曜日の銀座である。 「あんた、タカシマ君。銀座に勤めてるのに、休みの日にも銀座ブラブラしてるのかよ。変わってるねー」(尻上がりの茨城弁) 「そういう先生だって、毎日、銀座の事務所に通ってらっしゃるの…

コート 22

山口瞳先生が正装に近い服装をされるとき、決まって着用されたのが黒のコートだった。たぶん、カシミヤで、肩の四角いチェスターフィールドコートと呼ばれるコートだったとおもう。 チェスターフィールドというのは、19世紀のイギリスの伯爵の名前に由来して…

コート 21

ジェームズ・サーバーに「紳士は寒いのがお好き」という、文庫本にして6ページばかりの短篇がある。6ページだと、短篇でなくショート・ショートというべきか。 『そろそろ十一月の身を切るような寒い日がやってくるころ、ぼくの友人や同僚のあいだでは、ぼく…

コート 20

京都のパン屋さんのチェーン店の社長夫人は、試着したアルパカのグレーのコートを着たままソファにすわっていた。イタリーのアニオナのコートで、60万円だった。 「来週、社員をつれてバス旅行にいくところでしたんや。ちょうどよかったわ、うまい具合にいい…

コート 19

綿貫君は、その日、黒づくめの格好で出社した。 黒のコーデュロイの上下に黒のブーツ、白いワイシャツに黒のネクタイ、そして、その上から黒のコートを羽織っていた。時計の文字盤も黒だった(これはふだんから彼がはめているやつで、文字盤がオニキスのヴァ…

コート 18

店の前にベントレーが停まり、転げるように飛び出した運転手が後部ドアをあけると、おもむろに建築家のE氏がおりてこられた。奥で鏡に向かってにらみをきかせていた砂糖部長が、ぜんまい仕掛けの人形のような足取りで入り口に向かった。 「先生、いらっしゃ…

コート 17

「トレンチコートというのは、あれは戦争で着る作業着であって、おしゃれで着ている人はきっと訳がわかってないのだろうな」 高校の英語の講読の時間に、天ケ瀬先生がポツンといわれた。 たしかに、トレンチ(trench)は塹壕のことで、トレンチコートは、戦…

コート 16

島村先生の美容室をたずねたとき、先生はちょうど大事な顧客のお相手をしているところだった(註、2009-05-06「コート 13-4」参照)。先生は、ぼくの顔を見ると、あらあら、といった。 「わるいけど、いま、手が離せないから。あなた、時間はあるの? だった…

コート 15

入社した年の秋のことだ。 砂糖部長があわてた声をあげた。あまりあわてすぎたので、アワアワいうだけで言葉にならなかった。 眼を大きく見開いて、口をパクパクさせながら、表のドアを指さしている。ガラスのドアの向こうに、痩せた老人がウインドウを眺め…

コート 14

「新潟は雪深いから、半端なコートでは役に立たないのです」 村上市のA電工社長の西東氏は、釜本次長にそう答えた。秘書の方と社用で上京されたときのことだ。 釜本次長は、西東氏の薄いベージュ色のコートに眼をとめて、いいコートですね、といった。 「こ…

コート 13-4

3着持ってきたコートの、残りの2着はどうなっただろう。 桑名様のお宅をおいとましたとき、あたりはもう薄暗くなりはじめていた。ぼくは、さきほど、桑名様のお家が見つからなかったときのために、別の方にも目星をつけていた。ホテルのなかの美容室だが、き…

コート 13-3

ぼくがご覧に入れようとおもっていたのは、イタリー製アニオナのコートだった。衿にビーバーの毛皮を張ったカシミヤ・コートは、本当に素晴らしかった。同じ形で紳士物もあったが、そちらのほうは先に売り切れてしまった(註、2009-4-12「コート 9」参照)。…

コート 13-2

京都の展示会の挨拶まわりは、個人タクシーを利用していた。ぼくが入社する前から、表さんというおじさんがまわっていた。その頃、表さんはホテルの専属タクシーをやっており、うちの予約が入るとそちらを休んできていた(前のバンパーの上に袋をかけたプレ…

コート 13-1

桑名様とは、ずいぶんと相性がよかった。いや、長くおつき合いがつづいて、ずっとごひいきくださるお客様というのは、この相性のひとことにつきるのではあるまいか。 はじめてお目にかかったのは、京都高島屋の催事のときだった。年2回あって、東京から、老…

コート 12

ぼくが日本橋高島屋2階特選にあったフジヤ・マツムラコーナーに応援で出向したとき、そのコーナーの一角にイタリーのブランド、ヘルノが居候していた。壁に作り付けになっているハンガーラックだけを使用していたが、イタリー製の高価なカシミヤのコートがず…

コート 11

矢村海彦君は、ぼくのことを「ブス殺し」といったことがある。つき合う女性に美人がいないといった程度の意味合いである。いわれたとき、なるほどそうかもしれない、とおもった。 ぼくは、社会に出ても一向に学生気分が抜けなかった。だから、女性にも、男友…

コート 10

渋谷の百軒店の路地の奥に、ぼくたちが泥棒市と呼んでいた古着屋があった。いまはスーパーかなにかになっている場所だ。その頃は、空き地にテントを張って、3、4軒の店があった。昭和50年代のはじめのことである。 広告制作会社の社長になった矢村海彦君は、…

コート 9

「ちょっと時間があったものですから、寄ってみました」 遠山一行氏は、ロータリークラブの集まりかなにかで銀座に来られると、必ず顔を見せられた(ロタリー、だったとおもうけど)。そして、靴下とかハンカチとかネクタイとかいった、ちょっとした小物を買…

コート 8

綿貫君は、エルメスが好きだった。それで、丸の内のエルメスで白のコートを購入した。綿貫君の給料ではもちろん足りなくて、お袋さんに借金をしてそれを買った。 彼の母上は小学校の先生だけれど、財産家の未亡人でもあったから、打ち出の小槌みたいなものだ…

コート 7

黒眼鏡の作家が、婦人物のコートに目をとめた。 それは、黒のゴム引きのコートで、袖も身頃もばかにタップリしていた。コートというより長めのポンチョで、試着してみるとまるで大烏のようだった。 「これ、ください」 「婦人物ですが、よろしいですか」 ハ…

ブルゾン 3

渋谷鶯谷町の大旦那T氏が、釜本次長にいった。 イタリー製のアボンというメーカーの白の麻のブルゾン(フランス語。英語でジャンパー)をすすめたときのことだ。 「わたしはジャンパーがほしいのであって、ブルゾンだなんてしゃれたもんはほしくないのです。…

ブルゾン 2

ある日、山口瞳先生がひょっこりと来店された。見ると、黒い革のブルゾンを着ておられた。 先生、いいブルゾンですねえ、とおもわず口走ってしまった。 「これ?」 と、先生はご自分の胸のあたりをのぞき込むと、 「これ、エルメス」 と、ポツンといわれた。…

ブルゾン

白いふさふさのぬいぐるみとおもったのは、猫だった。目のパッチリとした白いペルシャ猫が、4、5匹いた。いったん猫とわかってみると、もうぬいぐるみには見えなかった。猫は、ひとの顔を見て、またミャアと鳴いた。きっと、うさんくさいやつだとおもったに…

コート 6

その邸の応接間はとても広かった。夏なら、庭に面したガラス戸が大きく開け放たれて、青く広がる芝生の草いきれをたっぷりと吸い込むことができただろう。しかし、ぼくがそのお宅を訪問したのは冬だったので、芝生も枯れ草色をしていた。 宝塚に入った上のお…

コート 5

ぼくは、おもわず、へー、とおもった。それも3回、別の日にである。 まず最初は、山口瞳先生だった。脱がれたコートをハンガーに掛けようとしたら、衿の内側に付いているメーカーの織りネームが眼に入った。「アクアスキュータム」。イギリスのメーカーで、…

ジャケット

野坂昭如先生が参議院議員に当選して、初登院したときに着ていた、白っぽい色の細かい格子柄の替え上着は、フジヤ・マツムラでお求めいただいたジャケットである。 テレビ朝日の大晦日版「朝まで生テレビ」に出席したとき、野坂先生の着ていた黒の革ジャケッ…

コート 4

イブ・ド・フランドルというメーカーがあった(註、2008-11-03「ハンドバッグ 17」参照)。このメーカーは、小さなものは革小物から、大きなものは毛皮のコートまで、まんべんなく扱っていた。 京都高島屋で10月に展示会を開催したとき、シーズンにさきがけ…

コート 3

井戸水流家元、井戸水冷右衛門先生は、中背で、がっしりしているけれどなで肩で、おなかがたるんでいた。これで日舞が踊れるのかといぶかしくおもえるが、舞台を観た人によると、とってもきれい、ということであった。 「ちょっと寒い国へ出かけるので、あっ…