コート 3

 井戸水流家元、井戸水冷右衛門先生は、中背で、がっしりしているけれどなで肩で、おなかがたるんでいた。これで日舞が踊れるのかといぶかしくおもえるが、舞台を観た人によると、とってもきれい、ということであった。 
「ちょっと寒い国へ出かけるので、あったかいコートないかしら」
 また寒い国か、とおもったら、こちらは北海道だった。
「あることはあるんですが」
 ハゲ店(鎌崎店長のこと。ハゲの店長だから)が揉み手しながら、上目遣いで先生を見た。
「なによ、いやねえ。あるんなら、早く出しなさいよ」
「それがですねえ、ちょっといわくつきなんですが、ミンクの裏地のコート」
「いわくつきって、ミンクの首でも付いてるとか」
「狐の襟巻きじゃありませんから、首は付いてないんですが」
「じゃあ、なんなの?」
「先生の世代ならご存じの」
「世代がどうしたのよ、やーね、年みたいじゃないの」
「ほら、戦後、いっぱい身体にたかって、DDTをふりかけられたやつ」
DDTって、しらみ?」
「ご存じですよね、しらみ」
「やーね、しらみなんか。だいいち、気持わるいわよ」
「いや、それが、ほんの数本に卵がかえった殻がいくつか付いているだけなんです」
「それなら、切っちゃいなさいよ」
「まあ、お求めいただいたあとなら、いくらでもカットできるんですが」
「ふーん、半額なら、見てもいいわよ」
「だめですよ、半額なんて」
「どうせ、売れやしないわよ。半額! 半額で売らないと、あの店はしらみのたかったコート売ってるって、いいふらして歩くから」
「どうも弱ったな、いうんじゃなかった」
 井戸水先生は、コートをはおって、満足そうに鏡に映して見た。サイズはぴったりだった。裾で目立たないから、しらみの殻が付いたままでもいいということになった。そして、せっかくリバーシブルなんだから、といって裏返して毛皮を表にした。鏡の前に立ったご本人には、マリリン・モンローが見えていたかもしれない。
 それから、なかが毛皮(こちらはヌートリアかなにか)のブーツ(フランスのメフィスト。これも年季が入っていた)をハゲ店がすすめると、コートが安く手に入ったから、といって上機嫌で試着した。コートとブーツで、まるでコザックのようになった。サイズはこちらもぴったりで、まとめて鎌倉のご自宅に送ることになった。あとで、ハゲ店がぽつんといった。
「北海道で、熊と間違われて撃たれちゃうかもしれないな、家元」