コート 4

 イブ・ド・フランドルというメーカーがあった(註、2008-11-03「ハンドバッグ 17」参照)。このメーカーは、小さなものは革小物から、大きなものは毛皮のコートまで、まんべんなく扱っていた。
 京都高島屋で10月に展示会を開催したとき、シーズンにさきがけて入荷したイブ・ド・フランドルの毛皮のコートを半ダース持っていった(ほかのメーカーの毛皮を含めると、1ダース持っていったことになるのですが)。まだ、バブルにさしかかったばかりの頃で、全部売り切れるというような馬鹿なことはなかったが(バブルの最盛期にはありました)、それでもけっこう売れたのだった。
 毛皮の場合、全部が買取というわけではなかった。手堅い店なので、そんな冒険はしない。しないけれども、問屋のほうが委託でこれでもかと納品してくるので、倉庫のなかは毛皮のコートでごった返していた。毛皮は、たたんで棚にしまうわけにはいかないから、ハンガーにかけて、カバーをして、ハンガーラックに吊るしておく。めったに売れない割には場所塞ぎである。場所塞ぎだから問屋のほうも、フジヤ・マツムラに預けちゃえ、と納品してきたのかもしれない。それでたまに売れるなら、保管場所としては最高である。
 展示会が終ったあとで、委託分の毛皮コートの売れた分の伝票が上がった。この伝票は、問屋に売り上げを立てるだけで、支払いは3カ月後である。仕入れが手堅ければ、支払いも手堅いのである。このとき売れたのは、イブ・ド・フランドルばかりで、先方の営業担当者はおおいに喜んだ。もっともこのうちの1点は、売れたのではなくて消えたのであったが。
 展示会初日は、開店と同時に、この会を待ちに待った京都のお客様がどっと押し寄せる。担当している顧客が何人も重なって、お一人が洋服を試着しに試着室に入っているあいだに、別の方にハンドバッグをすすめたりしなくてはならない。大忙しである。こういうときは、いちいち伝票なんか書いていられないから、値札の糸を引きちぎって、裏にお名前と色を書いておき、あとでゆっくり記入するのである。
 大きな波が押し寄せて、ひとしきりにぎわったあと、スーッと人が引くことがある。あんなにごったがえしていたのが嘘のようである。このときに、商品をたたみ直したり、ハンガーの洋服を整理したり、貴金属をきちんと並べ直したりする。伝票を上げるのもこのときである。
 コートを整理していた釜本次長が、急にそわそわしだして、落ち着きがなくなった。眼が宙を泳いでいる。
「店長、店長」
 早口で、鎌崎店長に声をかけた。
「なんだよ、うるさいな」
「ほら、これこれの形のミンクのコートがあったでしょ。あれ、どこにある?」
「あったかな、そんなの」
「責任者でしょ。ちゃんとたしかめておいてよ」
 釜本次長の眼は、血走っている。
「恐い顔して、それがどうかしたの?」
「どうかしたかじゃなくて、ないんだよ」
「えっ!  ないって...。カワナカか?」
「わからないけど、そうなんじゃない」
 高島屋の符丁では、こういうこと(万引き)をする人をカワナカさんと呼ぶ。そのあと半日というもの、われわれはトラウマになって、常連客以外の顔を見るとつい怪しんで、とても落ちついて販売どころではなくなった。
 イブ・ド・フランドルは、かくして1着よけいに売り上げが上がったのであった。