ジャケット

 野坂昭如先生が参議院議員に当選して、初登院したときに着ていた、白っぽい色の細かい格子柄の替え上着は、フジヤ・マツムラでお求めいただいたジャケットである。
 テレビ朝日の大晦日版「朝まで生テレビ」に出席したとき、野坂先生の着ていた黒の革ジャケットもフジヤ・マツムラのものだ。
 青春出版社の雑誌「ビッグ・トゥモロウ」の特集「銀座の行きつけの店」の取材でみえたとき、撮影のために試着した紺のコートがあった(手しか写ってないが、着せかけているのがぼく)。写真を撮ってしまえば用のない、わざわざ買う必要のないコートだったけれど、わるいから、といって着てかえられた。あとのページに、その紺のコートをはおって銀座裏を歩いたり、どこかの駅のホームで脱いだコートを腕にかけて電車を待つ写真が載っていた。
 もっとたくさんの例を挙げることができるが、いずれの場合も、ご自分をうまくアピールするためのおしゃれなアイテムとしてつかわれている。どれも野坂先生によく似合っておられた。
「テレビに出るので、なにかジャケットがほしいのだけれど」
 めずらしくシラフで、野坂先生がみえられた。
 野坂昭如先生は真面目でシャイな方だから、飲んでいないと、無口でポーカーフェイスでおとなしかった。そして、用がすむとそそくさと店を出て行かれた。たいていはそうであったが、飲んで酩酊されているときには、だいぶ口が軽くなり、口もとも大きくゆるんで、黒眼鏡の奥で少年のような眼が笑っていた。しかし、それでも、なれなれしくはなかった。フジヤ・マツムラに対し、ある種の敬意をはらってくださっていたのだ。
 ぼくは、さきほどウインドウに飾ったばかりのジャケットを指さした。
「テレビでしたら、あのジャケットはいかがですか」
 野坂先生は、そのジャケットを見て、へっ、といった。ちょっと派手なグリーンだった。
 ウインドウから出してご試着いただくと、仕立てたようにぴったりだった。野坂先生は手が長かったから、輸入品(舶来品と呼んでいたが、これも死語かもしれない)でもサイズがぴったりだった。普通は何センチか詰めないと、指の付け根くらいまで袖口が届いてしまうのに。
 野坂先生は、ジャケットを着たまま、ちょっとためらわれた。
「じゃあ、これください」
 しばらくして、また野坂先生が来店されたので、「あのグリーンのジャケット、重宝されていますか」とたずねた。
 野坂昭如先生は、ぼくの顔をじっと見てから、申しわけなさそうにいった。
「ああ、あの上着ね。あれ、テレビで1回着てから、友だちに上げました。あれ着ると、なんだか自分がインチキな手品師になったような気がして」