コート 13-1

 桑名様とは、ずいぶんと相性がよかった。いや、長くおつき合いがつづいて、ずっとごひいきくださるお客様というのは、この相性のひとことにつきるのではあるまいか。
 はじめてお目にかかったのは、京都高島屋の催事のときだった。年2回あって、東京から、老舗ばかり10店ちかく参加していた。春は「銀座五人店」(赤坂の福田屋という呉服屋さんや、池之端の京屋という指物屋さんが参加したから、銀座の5店と合わせて7店)、秋は「銀座名店会」(福田屋さん、京屋さんのほか、組紐池之端道明さんも参加したりして、春より参加店が多かった)。
 フジヤ・マツムラは、両方の会の幹事だった。別に幹事だからといって特別なわけではない。連絡係、というか雑務ばかりを引き受けていた。
 桑名様がみえたのは、春の会のときだった。春の会は、3月に催された。だから、用意してゆく商品も春夏物である。
 桑名様が買われたのは、スイス製のシルクのコートだった。色はあざやかな紺で、軽い単衣でベルト付きのたっぷりとしたコートだった。
「これなら、ダスターにもなるわね」
 大柄で、丹下キヨ子に似た風貌の桑名様は、話し方もさっぱりしていた。
「はい。これなら、ご旅行のときにも、たたんでバッグにしまえて重宝だとおもいます」
 シルクだが、たたんでもシワになりにくい生地だった。
「これ、外商にまわしておいて」
 ぼくの給料の2倍のコートだったが、あっさりと決まった。
「よろしいんですか?」
 ぼくは、その頃、あまり簡単に決まると、かえって不安になった。
「なにが? あなた、売れたほうがいいのとちがうの?」
「いえ、ご試着されないで」
「いいの。見たらわかるわ。からだ大きくて、いつもサイズで苦労しているから、一目みればわかるの。似合うかどうかも」
 外商に移動するため包装していたとき、大変なことに気づいた。ちょうど背中のまん中あたりに、横に1本糸が抜けていたのだ。わかりづらいが、光の角度で見えないこともなかった。これでは、商品にならない。すぐに東京に電話して、ほかに在庫がないか調べさせた。しかし、このコートは1着しか入荷がなくて、仕入れ先の問屋にも在庫がなかった。
 ぼくは、コートを持って、会場内を探しまわった。まだ、どこかの売り場にいらっしゃるかもしれない。外商から説明してもらうより、直接コートを見せて、自分の口でお断りしたかった。
「あなた、わたしのコート持って、なにウロウロしてはるの?」
 とつぜん、うしろから声がかかった。桑名様だった。
「いえ。あの」
 ぼくは、コートの背中を指さして、早口で説明した。あわてると、早口になる。
「それが、どないしたん?」
「いえ、ですから、これは」
「そんなん、注意されてもわからないくらいやないの。気に入ってるんやさかい、ごちゃごちゃいわんと外商にまわしなさい」
「よろしいんですか?」
「また、よろしいんですかか。気になるんやったら、あなた、すこしまけといたらええやないの。あとで文句出えへんように」
 これが桑名様との出会いだった。