コート 13-2

 京都の展示会の挨拶まわりは、個人タクシーを利用していた。ぼくが入社する前から、表さんというおじさんがまわっていた。その頃、表さんはホテルの専属タクシーをやっており、うちの予約が入るとそちらを休んできていた(前のバンパーの上に袋をかけたプレートがついていて、袋をちょっとずらしてみたら、大手ホテルの名前が見えた)。だから、どこかで同じホテルの専属のタクシーに会うと、うわあ、まずいなあ、というように、照れて頭をかいてみせた。京都は案外狭いから、ずいぶんしょっちゅう出会った。
「だいじょうぶなんですか?」
 ぼくは、いぶかしそうな声をだした。
「ええ、ええ、かましません。上の人には、用事があって休むといってあります」
 表さんは、物腰もやわらかかったが、口調もやさしかった。 もうけっこう年輩で、本人は気づかないとおもっていたかもしれないが、かつらをかぶっていた。
 京都の道は、どこも家の庭のようによく知っていたが、それでもいつもきまって迷う道があった。七条の5叉路もそのひとつで、そこにさしかかると、あれえ、といって戸惑うのだった。
 その5叉路のひとつを入っていけば、桑名様のお宅がある。桑名様のお宅は、ペンキ屋さんだった(いや、ペンキ屋さんといっては間違いで、ペンキの問屋さんだった)。家に入るとすぐ事務所で、社長のご主人と、経理をつとめるお嬢様と、何人かの事務員が仕事をしているのがガラス越しに見える。事務所脇の通路を入るとようやく玄関で、玄関脇にダイニングキッチンがあった。奥にちゃんとした応接間もあったが、たいてい、ダイニングテーブルでなんでも用事をすませていた。
 その年の秋、ぼくは自動車外商で京都に来ていたが、まるきり成績がふるわなかった。顧客の住所録と地図とに首っ引きになりながら、「これからどこへ行きましょう?」ときくアルバイト運転手(註、2006-10-29「福岡君」参照)に、「ちょっと待ってね」といいながらすこし焦っていた。日程はあと2日あるのに、目ぼしい顧客はほとんどまわってしまっていた。これだけ会っていただけて、たくさんお買い上げがあっても、金額が伸びないときがあるものである。
「ここ、どっちに行ったらいいですか?」
 ステアリングにあごをのせて、眼をきょろきょろさせながら福岡君がきいた。住所録から顔をあげると、あの5叉路にいた。桑名様のお宅がいちばん近い。
「そうだな。ご挨拶だけになってしまうかもしれないけど、お寄りしてみるかな」
 どっちの方向だかわからなかったけれど、適当な道に入ってもらった。それで、間違えたら、そのときは仕方がない。また、どこか別のお宅を探すまでのことである。
 しばらく行っても、それらしいお宅が見えてこない。どうやら道が違ったか、とおもって地図に眼を落しながら、
「いい加減なところで一旦停めてよ、もう1度立て直すから」
 と福岡くんにいった。福岡君は、うしろから来た車をやりすごしてから、
「なかなか停められそうなところがないなあ」
 とつぶやいて、ゆるゆると車を進めた。そして、
「ここなら停められそうですよ」
 といって車を停めた。ぼくは、眺めていた地図からなにげなく顔をあげた。目の前にペンキ屋さんの看板があった。