ブルゾン 2

 ある日、山口瞳先生がひょっこりと来店された。見ると、黒い革のブルゾンを着ておられた。
 先生、いいブルゾンですねえ、とおもわず口走ってしまった。
「これ?」
 と、先生はご自分の胸のあたりをのぞき込むと、
「これ、エルメス
 と、ポツンといわれた。
「新潮社がお祝いになにかくれるというので、買ってもらったんです、サンモトヤマで」
 それは、たっぷりと革を使った、やわらかそうなブルゾンだった。他店の品物でも、いいものはいい。ぼくは、ずっとブルゾンに見とれていた。
 さて、あのときのお祝いというのはなんだったのだろう、とふとおもって、いま、著書を引っ張りだしてきた。著書の表紙で見た記憶があったからだ。そして、「草競馬流浪記」(新潮社)という本の表紙が、ハンチングをかぶって、あのブルゾンを着た山口先生の写真だった。手に双眼鏡を持っているのは、競馬場のパドックを眺めているところなのだろう。
 この本が刊行されたのは、1984年のことである。それなら、年譜をあたれば、ヒントが見つかるかもしれない。案の定、年譜をひらいたら、すぐにわかった。前年に、「週刊新潮」の連載「男性自身」が千回を迎えていた。新潮社のお祝いというのは、1963年12月に連載を開始して、1度も休載することなく千回続けた、山口先生の労をねぎらうものであったのだろう。
 ところで、山口先生と同じ頃、フランス帰りの綿貫君もそのブルゾンを着ていたことを思い出した。
 綿貫君は、フランスのミッシェル・リップシックというブランドの革のブルゾンを買ったとき、それまで着ていたランヴァンの1枚皮のブルゾンをくれたことがあった。とても薄い皮で、薄皮饅頭みたいなブルゾンだな、とぼくは不平をいった。
「そんなこといいますけど、これ買ったとき、高かったんですから」
 綿貫君は、心外そうにいった。
「いくらした?」
「20万くらい」
 ぼくは、なんだかそれだけで暖かいような気がしだした。
 綿貫君がエルメスを着てきたときにも金額をたずねた。
「50万くらいしますかね、日本で」
「フランスではいくらくらいだったの?」
「20万かな、ぼくは特別に安くしてもらいましたから」
 ぼくは、綿貫君の顔をじっと見た。
「じゃあ、ぼくの着ているランヴァンといっしょだね」
「まあ、そうですね」
「取り替えっこしようか」