コート 17

「トレンチコートというのは、あれは戦争で着る作業着であって、おしゃれで着ている人はきっと訳がわかってないのだろうな」
 高校の英語の講読の時間に、天ケ瀬先生がポツンといわれた。
 たしかに、トレンチ(trench)は塹壕のことで、トレンチコートは、戦地で兵士が塹壕を掘るとき、泥をかぶったり、雨が降ったりしてもいいように、軍服の上から着た塹壕用防水外套だった。 それを知って、あれは作業着だったのか、とちょっとガッカリした。ハンフリー・ボガートのトレンチコート姿にあこがれていたからだ。
 ところで、天ケ瀬先生は、越中ふんどしを愛用しているという話だった。修学旅行でいっしょに大浴場にはいった先輩が教えてくれた。天ケ瀬先生は、蝶ネクタイをするくらいおしゃれな人なのに、越中ふんどしはミスマッチではないか。さらにいえば、越中ふんどしで英語を教えるのは、トレンチコートをドレッシーに着るのと似たようなところがあるとおもうが、いかがなものか。
 商船三井でアルバイトをしていたとき、給料日に矢村海彦君が晩飯をおごれといってやってきた。矢村君はまだ早稲田の学生だったが、その日は買ったばかりのトレンチコートを着てきた。Kentのトレンチです、といった。タートルセーターの上にはおっていたが、体格がよいのでよく似合っていた。
 後年、仕事でアクアスキュータムのコートも取扱ったが、顧客柄ステンカラーのシングルコートばかりで、トレンチコートは仕入れなかった(映画「カサブランカ」でハンフリー・ボガートが着ていたのはアクアスキュータム製)。ぼくは、トレンチコートはまだ着たことがない。