コート 16

 島村先生の美容室をたずねたとき、先生はちょうど大事な顧客のお相手をしているところだった(註、2009-05-06「コート 13-4」参照)。先生は、ぼくの顔を見ると、あらあら、といった。
「わるいけど、いま、手が離せないから。あなた、時間はあるの? だったら、待っててくれないかなあ」
 島村先生は、もともと東京の方だから、口調が伝法である。ずんぐりむっくりで、細い眼に眼鏡をかけており、一寸見は小学校の女性校長のようだった。とてもさっぱりした性格で、だから、怖い人とおもわれているフシもあった。
 ぼくは、美容院の待合室で、女性のあいだに挟まれて坐って待った。あとからくる女性客は、奇妙な眼でぼくを見た。まだ、男性が美容院に行くのが当たり前の時代ではなかったから、奇異の眼で見られるのは当然のことだった。
 しばらく待たされたあと、島村先生は顧客といっしょに現れた。セットのおわったお得意様を見送りに出てきたのだ。ぼくは、立ち上がった。
「ほら、いまお話しした銀座の有名な洋品店の人。銀座でいちばん高い店なの。京都にくると、かならずわたしのところへ顔を出してくれて。もう古いなじみでしてね。わるいから、ついおつき合いしちゃうんですよ。今回はなにを持ってきたのかしら?」
 ぼくは、持っていた袋からコートを出してみせた(なにをといわれても、これ1着しか持ってこなかった)。
「あら、コートね。よさそうじゃない。奥様、彼はね、いつもわたしにピッタリのものを持ってくるんですよ。わたしのサイズと好みがよくわかっていて」
 ぼくは、試着はそのお客様が帰られたあとにしようとおもった。
「ほら、あなた、せっかく奥様がいらっしゃるんだから、どんなコートか見せてさしあげたら」
 コートを両手でぶら下げるようにして、ひろげてみせた。
「いいじゃない。すてきよ。わたしに合いそうね。ちょっと袖を通してみようかしら」
 島村先生のうしろにまわるとコートを着せた。胴回りはピッタリだったが、袖が長く、着丈も長かった。ずんぐりむっこうりで、手足が短いのだから仕方がない。
「ほら、奥様、彼ったら、わたしにちょうどいいゆとりのコートを持ってきてくれましたわ」
 袖丈と着丈を詰めることで、購入がきまった。
「ところで、あなた。まだ金額をきいていなかったけど、いくら?」
 ぼくは、自分の給料3カ月分の金額を告げた。
「うーん、いい値段やねえ。ま、いいわ。直しておいて」
 それから、そのお得意様は帰っていかれた。島村先生は、上得意の顧客にいいところを見せたかったのかもしれない。
「あなた、うんとまけなさいよ。それから、分割ね。1着なのに、いつもの3倍買っちゃったんだから」