指輪 2

 はじめて釜本次長と自動車外商に行ったのは京都だった。セドリックのバンに大きな鞄を7個積んでいった。運転手はいつも早大の自動車部にアルバイトを頼んでいたが、そのときは西村君がマネージャーにいわれてやってきた。
 西村君は、教員になりたかったのだけれど、希望の学校に欠員がなくて、わざと1年留年した、とぼくにいった。ぼくも意味なく8年も大学に在籍していた口だから、彼とはなんとなく馬が合った。
 釜本次長は、顧客のお宅に着いても、ぼくに車で待機するようにいって、ひとりで上がり込んでしまう。そうして、1時間も2時間も出てこない。だから、所在なく、西村君とずっと無駄話をしていた。  
 どうやら、釜本次長はやきもち焼きで、顧客が若い社員にちやほやするのが面白くなかったらしい。それがわかったのは、伏見にあるS酒造のオーナーのお宅にうかがったときである。あまり戻ってこないので、もしかして次長はぼくを呼びたいのだけれど、席を立てないでいるのではないか、とおもって、そっと玄関をあけてなかの様子をうかがった。話が弾みすぎると、商品をひろげる機会を逸してしまうことがある。鞄がそばにあれば、なんだかんだいいながら見せることができるが、貴金属の入った小さな鞄だけしか持っていなくては、それがかなわない。
 ぼくは、玄関脇の応接間に聞き耳を立てた。すると、次長がオーナー夫人にゴロニャンするように話しかけているのがきこえた。
「ごいっしょの社員の方も入ってもろたらよろしいのとちがいます?」
 オーナー夫人が、ふと思い出したようにいった。
「いえいえ、彼は車で待っているほうがいいんです」
「ほなら、お手伝いはんにいって、運転手さんと二人分、お紅茶もっていってもらいまひょか?」
「とんでもない。そんな。どうかおかまいなく」
「そやけど、気の毒やわ。長い時間、待たさはって」
 突然、オーナー夫人は立つと、ドアをあけて、お手伝いさんを呼びに廊下に出てこられた。そして、すぐにぼくに気がついた。
「あらあら、ここにいてはるやないの。まあ、ずいぶんと可愛い坊ちゃんだこと」(当時、ぼくは28歳になっていましたが、童顔で二十歳にしか見えませんでした。可愛いというのは、単に若いということだったんでしょうね)
 ぼくは、どぎまぎしながら挨拶をして、あわてて名刺を差し出した。すると、応接間のドアのかげから、じっとこちらをにらむ釜本次長の顔が見えた。
(つづく)