百物語

 ああ、百物語ね。もちろん知ってますよ。粋狂で催したことがあります。
 ほら、鴎外の小説にもあるでしょう、向島あたりの金持の別荘で百物語が開かれる話が。あれを真似たんです。当然、場所は向島。割合、凝るほうで。といっても、別荘なんてないから、料亭を使いました。
 集まったのは、大学時代のクラスメイトばかりで、10年経ってもみんな若いというか、腰が軽くて、集合をかけたら10人ほどがやってきました。おかしなもので、成績のわるかったやつばかりなんですよ、それが。成績はわるかったけれど、みんな、それぞれの会社でそこそこ出世してましてね。あれっておかしいですよね。成績のよかった連中というのは、なぜかそういう会に顔を出さないものですね。
 百物語は、100本のロウソクを立てて火をつけ、ひとつ幽霊話をするごとに1本ずつ消してゆき、最後の1本を吹き消したときに怪奇現象が起きることになっていますが、ぼくらはそんなことはしませんでした。落語家をひとり呼んで、飲みながら、怪談話をさせたんです。いいえ、大した噺家じゃありません。ひとり頭3000円徴収して御礼としました。3つくらい演じましたかね。1個1000円なら安いもんじゃありませんか。あまり面白くなかったけれど。
 もちろん、ロウソク立てましたよ、100本。それで、噺が終ったところで、わっとロウソクを吹き消して。まっ暗になって。それでも、お化けなんか出ませんよ。出た日には大変だ。だれかがノロノロと電灯のスイッチをつけに立って。馬鹿だから、卓の角に弁慶の泣き所をぶつけてひっくりかえって。だれも驚きゃしませんよ。イテテ、というので、みんなゲラゲラ笑って。なんだかとっても愉快でしたね。
 つぎに、ほかのだれかが立ち上がって、壁に手をつきながら歩いてスイッチをさがしてるようなんです。壁に手をつけてれば、かならず出口にたどりつけますからね。よく迷路というのがあるでしょう、遊園地なんかに。あれも片側の壁に手をつけてれば、どんなに時間がかかっても出られます。
 しばらくして明りが灯って、部屋のなかが昼間のようにまぶしく輝きました。廊下を通りかかった仲居さんがつけてくれたそうです。
 それではそろそろお開きにしよう、ということになったんですが、卓の端がひとつ空席になっています。だれかトイレに行ってるのだろう、とおもっておしゃべりして待っていましたが、なかなか戻ってきません。 卓に足をぶつけたのはだれ、と声をかけると、向こうのほうから、おれだ、と返事がかえってきました。じゃあ、壁に手をついて歩いていたのは、とききましたが、こんどはだれも答えません。それなら、いま席を外している男なのでしょう。
 そのうちに、その席にすわっていたのはだれだっけ、とだれかがいいだして、空いてる隣りの席の男にききましたが、よく憶えていないようなのです。結局、だれだったのかわからずじまいで、不思議な空席だけが残って、みんなあいまいな顔つきのまま散会しました。
(「私のニセ東京日記」がまたまた迷いこみました)