コート 24

 フジヤ・マツムラの近所にルパンというバーがあった(註、フジヤ・マツムラはなくなりましたが、ルパンはまだあります)。文壇バーと呼ばれており、戦後すぐのころ、織田作之助太宰治がこの店のカウンターで撮った写真は有名である。
 いずれもカメラマンは林忠彦で、太宰の場合は、林が店内で織田作の撮影をしていたところ、たまたま居合わせた太宰に「おれも撮れよ」としつこくせがまれ、仕方なく最後の1個のフラッシュバルブをたいて撮った。この不承ぶしょう撮った太宰の写真が、後に林の写真のなかで一番数多く印刷されることになるのだから、偶然というのは皮肉である。
「ちょっと、おたずねしますが」
 砂糖部長(もちろん、そのときは部長などではなく、ただの丁稚だった)は、和服にトンビ(註、インバネスコートのこと。ほら、シャーロック・ホームズが着ているやつ)を羽織った背の高い男に、きかれた道をきちんとおしえた。男に丁寧に礼をいわれたので、自分も深く頭をさげると、黒足袋に下駄を履いた足が見えた。後年、砂糖部長は、下駄の分を差し引いても太宰は大きな男だった、といった。
「タカシマさん。部長の大きいはアテになりませんよ」
 有金君が、あとでそっといった。
「部長は、うちのボクは背が高いっていったんです。うちのボクというのは、大学に入ったばかりの一人息子のことですよ」
「うん」
「自分はチビだけど、背の高さは遺伝しないって。うちのボクは、見上げるくらい大きいっていったんです」
「うん、うん」
「そしたら、なにかの折りに、息子さんの身長が165センチってわかったんです」
「165センチなの」
「そう、ぜんぜん大きくないでしょ。で、きいたら部長は155センチだそうです。それなら、息子さんを見たら、見上げるのにきまってるじゃないですか」
 ぼくの頭のなかで、トンビをまとった太宰治が、しきりに伸びたり縮んだりした(註、部長が会ったのが、本当に太宰治だったかどうかは、保証の限りではありません)。