コート 27

「だって、コートは2枚しかないっていったんだもん」
 半べそをかきながら、砂糖部長は車に乗った。碧南市のO氏から紹介された、名古屋郊外の会社社長のお宅をおいとましたときのことだ。
 自動車外商にまわると、ときとして、顧客からめぼしい友人や知人を紹介されることがあった。とりわけ砂糖部長はよく紹介された。顧客も、そのたれ目の、いつも泣き笑いしているような表情を見ると、ついなんとかしてやりたくなるのかもしれない。
「Oさんが、彼んとこはコート、2みゃあしかないでよお、っていったから」
 砂糖部長は、車が動きだしてからも、言い訳がましく口のなかで呟いた。
 O氏の紹介してくださったお宅は、すごい豪邸だった。通されたリヴィング・ルームのガラス戸の向こうに、広い芝生の庭がひろがっていた。若い社長は、革のソファーに深く腰をおろして、組んだ脚をぶらぶらさせながらいった。
「コートなんか、掃いて捨てるほどありますよ。だいたい、着るものには不自由してないんでね」
 砂糖部長の顔が赤くなった。うかがってはみたものの、 どうやら商売にはなりそうになかった。
 コートに関しては砂糖部長の早とちりで、碧南市のO氏はただ単に、テニスコートは2面しかない、とおっしゃっただけのようだった。