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 数学の脇坂先生は、60年安保のとき、バリバリの学生運動家だったらしい。デモシカ教師という言葉があるが、たぶん、教師以外の道は閉ざされて、教師にしかなれなかったのだろう。職員室の自分の机に、新刊のマルクス全集を積み上げていたが、ぼくにはイミテーションのように見えた。もう読む気もないのに購入して、過ぎ去った昔を懐かしんでいるふうにおもえた。
 

 その日、脇坂先生と帰りの電車がいっしょになった。
「きみは、俳句が好きなのか。ノートに書き込んだりして」
「知らない俳人の句が、ラジオで急に読み上げられたんです。で、なんとなくいいとおもって、あわてて書き写したんです」
「数学のノートにか」
「はい」


「先生、俳句は?」
「おれは関心ないよ、文科系には。おれには情緒が欠けているしな。だいたい、いろは四十八文字から、五七五、十七文字を選んでつくられるものには、限りがあるだろ。数学の組み合わせで、何通りの俳句ができるか、すぐ計算できちゃうからね。有限個の作品をこしらえるんだから、これは早い者勝ちじゃないか。そんなもの、面白みがないだろ。なんでみんな一所懸命になるのか、ぜんぜんわからないよ」(註:正しくは十七音)


 あれから五十年経った。数学教師が意味がないといった俳句に、ぼくは膝まで浸かってしまった。いっそのこと、どっぷり首まで浸かってやれ、といったやけっぱちな気分がしないでもない。なんてったって、もう晩年。後先が短いのだから、せめてやりたいことをやろうじゃないか。