はじめまして

 はじめまして。
 いま、このページにアクセスされた方は、なんで「オリーブ アイ」にこんなのが載っているのだろう、と、ちょっといぶかしくおもわれたかもしれません。
 それはそうですよね。そば屋ののれんをくぐってみたら、なかが銭湯だったりしたら、ぼくだって、ずいぶん、とまどうとおもう。でも、よかったら、すこしのあいだおつき合いください。
 まず、ぼくの自己紹介から。
 あらためて、はじめまして。高島黎(たかしまれい)と申します。としは、若い女性から、わあ年寄りぃ、とか、オジンクサーイ、とかいわれる年齢です。職業欄には、自営業と書きます。いまはオーダー・シャツの仕事をしていて、社長で社員で雑用係もかねています。でも、店舗はありません。サンプル生地の郵送と外商で営業しています。職人の腕が優秀で、顧客の方々の熱烈なご指示をいただいていますが、知名度がないので、一般の方はほとんどご存じないでしょう。
 ですが、前身は、フジヤ・マツムラという銀座のれっきとした舶来洋品店です。ただ、残念ながらフジヤ・マツムラは、いまはもうありません。顧客に名をつらねていた各界の錚々たるメンバーに惜しまれつつ、さまざまな伝説とともに、8年前に歴史のなかへ消えてゆきました。
 「夕刊フジ」に掲載されて、昭和49年に新潮社から出版された山口瞳先生のエッセイ集「酒呑みの自己弁護」のなかに、その面影をしのべる箇所があるので、一部引用してみます。
 フジヤ・マツムラという店は、十五年前ぐらいまでは、なかに入るのがこわいような店だった。
 正札の金額の単位が一つ違うと言われていた。それで恥をかいた人がいる。一万四千円だと思ったカバンが十四万円であったり、さらによく見ると百四十万円であったりする。下着ひとそろい注文したら三十万円だったという話も聞いた。
 輸入された上物を、こんなものが買えないようでは日本の恥だと言って店主が仕入れてくる。従って日本で唯一つといった品があったそうだ。(「オン・ザ・ロックス」) 
 そういう山口先生ご自身は、「私は若いときから割合平気で入っていた。買える物ものといっては、せいぜい靴下一足である。ネクタイなんかは買えない。ネクタイ一本の値段で、デパートへ行けば、夏服の上下が出来てしまう。私は靴下一足を買い、自分ではくのがもったいなくて、たいてい誰かにプレゼントしてしまった」と、おっしゃっている。(引用が長くて、すいません)
 ぼくは、この店が創業80年にして幕を閉じるまで、20年間勤めていた。その間、ウインドウのなかから眺めていた銀座のいろんな風景を、おはなしできたらいいなとおもいます。