綴じ込みページ 猫-36

 A-2フライトジャケットをご存じだろうか。映画「大脱走」でスティーヴ・マックイーンが着ていたあの皮のジャンパーである。30年前、ぼくも渋谷のミウラ&サンズで購入して、10年ばかり着ていたことがあった。
 ぼくのは、アヴィレックスというメーカーが出したレプリカで、本物はホースハイド(馬革)仕様だけれど、カウハイド(牛革)製だった。当時の金額で12万円くらいしたとおもう。高い買い物だった。ほかのメーカーのレプリカものなら、上野のアメ横あたりでその半額出せば買うことができたのだから。しかし、本物の放出品で程度のよいものは、当時でも20万円以上していたから、よしとしなければならなかった(あたりまえだよね。いま、よく考えたら、そのときのぼくの給料の手取額は13万円ほどだった)。
 フジヤ・マツムラの後輩の綿貫君にさっそく見せると、エレガントじゃないなあ、といった。
「うちの叔母の夫が生きていたら、本物、もらえたかもしれませんね」
「へえ。なんで?」
「叔母の夫はアメリカ人でした。戦時中は、アメリカ空軍にいたんです。このジャケットを着ている集合写真がありますよ」
「で、戦死かなんかしちゃったの?」
「なぜ殺しちゃうんですか。戦死してたら、うちの叔母と結婚できないじゃないですか」
「だって、生きてたらっていうから」
「それは、ずっとあとのことですよ」
「どうして叔母さんと結婚したの?」
「戦後、日本に駐留したんですが、そのとき、軍の電話交換手をしていた叔母と知り合ったんです」
「ふーん。それで、サイズはぼくくらいの人?」
「戦闘機乗りは小柄じゃなくちゃいけないって、知ってます?」
「知らない」
「戦闘機のコックピットは、必要最小限の大きさしかないから、大柄な人はだめなんですよ」
「へえ。そんなものかね」
 この先、なにを話したのか、おぼえていない。なにしろ、30年前のことだ。
 ぼくの自慢のA-2タイプは、友だちんちの黒猫に左肘のあたりをかじられて、いくつか小さい穴があいた。それから、袖口の毛糸が経年変化でノビてだらしなくなった。なにより、はじめから小さめを購入していたから(アンアンにそのほうがかっこいいって書いてあったんだもの)、厚着をするとファスナーがしまらなくて、だんだん着なくなってしまった。そして、ある年、カミサンが、3年以上着てない衣類はすべて処分するわよ、というので、いいよ、とうっかり返事して、あっさりと捨てられてしまったのだった。
(つづく)