五味さんの車で

 挨拶回りというのは、たとえば新年でしたらお年賀の挨拶、お盆が近くなればお中元、展示会の前には案内状を、お届けすることでした。もっとも、このうち、年賀と中元はごく限られた少数の顧客にしかしませんでしたから、タクシーでまわるのも1日2日あればすみました。しかし、展示会となると、なるたけ多くの方においでいただきたいわけですから、粗品を積んで1日30〜50軒近くまわって4、5日かかりました。もちろん、案内状だけを郵送する方もあって、名簿を見ながら宛名書きをしますが、都内近県で1500名くらい出しました。
 都内をまわるときは、個人タクシーの五味さんにたのんでいました。五味さんは、ぼくが入社するよりもずっと以前から、挨拶回りを手伝っていたようです。挨拶回りの名簿を見せると、すぐに「あの人はやめちゃったのかな?」といった質問がとび出します。あの人、というのは、前回までうかがっていたお客様で、しばらくお買い上げがないから他の方にしよう、ということで削られたのです。長いこといっしょに仕事をしていると、新入社員なんかよりよほど詳しく知っています。新しく追加されたお客様もありますから、住所をチェックして、まわる順番を頭に入れてから出発します。きょうはこっちの方面は混んでいるから、といって、臨機応変、行き先を変更したりもします。そこはベテランですから無駄がありません 。 タクシーではちょっと、というような都内でも遠いところや、ごく近県の方には、粗品に案内状を付けて宅急便でお送りしていました。
  タクシーでまわるときは、都内をいくつかに分割します。そして、その区域を移動します。途中に寄れないこともないお宅が点在していますが、そこに寄っていると、結局はさきに行って暗くなるまでにまわりきれなくなって、2度手間になることがわかっていますから、きめた区域以外は無視します。移動は、近いところからはじめて、じょじょにいちばん遠いところまで行って、また戻りながら寄るのが基本でした。遠方をすましておけば、暗くなって、まわりきれなくなったとしても、あしたはそんなに走らなくても残してきたところに辿り着けるわけです。
 五味さんは、もとはサラリーマンをしていたといいます。杉並のほうを通るとき、「このあたりにい、ぼくのお、会社があったんだあ」と、いつでもしりあがりの栃木弁でいうのでした。「ずいぶん、むかしのことだっぺが」それからタクシー会社にはいって、長いこと運転してから個人になったそうですが、「六法全書、あんなのわかんねえなあ、個人の試験にはあれおぼえねえとなんねえんだけど、自分でもよく受かったと不思議だねえ」となんどもいいました。 映画俳優の故・加藤大介にちょっと似ていました。
 お昼が近くなると、弁当は? ときいてくれます。本人は愛妻弁当を持ってきているので、その近辺でパンか弁当をぼくは買ってきて、いっしょにタクシーのなかで食べます。タクシー運転手には、休憩しやすい場所というのがあるらしく(トイレが近くにあるとか)、いつもたいてい同じ場所で食事にしました(たとえば九段の靖国神社の裏とかで弁当をひろげていると、白百合の女学生がのぞいて通ったりして、ずいぶん恥ずかしかったです)。「前に女性の人が挨拶回りしたことがあったけどお、その人は車のなかで弁当食うなんてやだっていって、あとで迎えに来いってレストランに入っちまっただなあ」というけれど、わかるような気がします。ぼくはしないけど。
 五味さんは、おどろくほどの速さで愛妻弁当をたいらげると、小さな魔法瓶からずるずるっとお茶を飲んで食事がおわります。ぼくはまだ半分しか食べていません。それから、近くの公衆トイレに用を足しにいって戻ってくると、車のトランクをあけてゴルフのドライバーを取り出して、野球のスイングのようにぐるぐる振り回します。アイアンを取り出したときには、道路のアスファルトの上の架空の穴に向かって、慎重に狙いを定めます。しばらくゴルフの真似をして、満足そうに車に戻ってきたのをつかまえて、「ゴルフの腕はあがりましたか?」とひやかしてやります。「もうじき組合でコンペがあるの。何年やっても、ちっともうまくなんないねえ」と笑って、「おちっこ、いいかい? よければ、そろそろ出かけるかねえ」とうながします。 五味さんはときどき立ちションをしましたが、ペットボトルの水で手を洗いながら、年をとると近くて困る、とぼやきました。 五味さんとは、父親くらい年が離れていました。「車走らせていて、人の邪魔になるようになったら、引退すっかなあ」 挨拶回りが終った日に、銀座まで戻ってきて、料金を清算すると、「あしたは、もう、いいのけえ?」とさびしそうな顔をしました。「また、来月ね」
 その日は、世田谷ではじめてうかがうお宅が見つからず、ずいぶん時間をくったことを思い出しました。そのため、いつも車を停めて弁当を食べていた場所から離れすぎていたので、適当なところで食事することになりました。小田急線の線路際で、桜並木がありましたが、すぐその向こうにはマンションが並んでいます。食事がすんで、トイレを探しましたが、近くに見当たりません。そうなると、なんだか我慢できないような気になってきます。五味さんは、「おちっこするかなあ」とのんきな声でいって、マンションから見えないように車のかげに隠れてファスナーをおろしました。線路の柵に向かって用を足すつもりです。ぼくもあわてて並んでファスナーをおろしました。はじめてのことです。このあと、どこかに公衆トイレがあったとしても、そこまで我慢するのも容易ではなさそうですし、まあ必死でした。。ほっとして、あーあ、という声がおもわずもれたときです。轟音とともに、小田急電車が通過しました。電車の窓からこちらを眺めていた人たちの眼が点になりました。
「また来月、こんどは失敗しないように、気をつけましょうね」