丸ビルとシャツ

 内田百間の「東京日記」の第何話目かに丸ビルが消えてしまう話がある。ある日、見ると、そこに立っている筈の丸ビルが、忽然としてなくなっている。そして、その跡が原っぱになっており、水たまりにあめんぼが泳いでいる。通りすがりの人にきいても、要領の得ない返事である。長いこと立っていれば、たまにはどこかへ出かけることもあるだろう、と妙に納得して帰ってくるが、後日見るとちゃんと立っている。それでは、その消えていた日にそこで仕事していた人たちはどうしていたのだろう、とおもってきくと、これもあいまいな返事が返ってくるが、作者は深く追求しない。全23話いずれもさらりとした怪異談だから、べつにそれでも不都合ではない。
 ぼくが丸ビルを知ったのは、映画のなかだった。昭和30年代、ぼくは小学校に上がる前からひとりで映画を観にいっていた。もちろん親がいっしょのときもあったが、たいていひとりで行ったようにおもう。日曜ごとに親から映画代をもらった。最初のころは50円だった。場末の3番館だから、おくれた映画が3本立てで子どもは30円だった。残りの20円でキャラメルかガムかおせんべいを買う。もぎりのおねえさんも、売店のおばちゃんも、主任のおじさんも、みんな顔見知りだった。そうでなければ、大人にくっついていっしょに入ってしまえば只なのに、と、映画館の人たちが笑った。
 そんな映画館だったから、上映する会社もかたよっていて、大映、松竹、日活、東宝、新東宝に限られていた。東映や洋画の映画館は、そんな子どもには歩いて行けないくらい遠くにあった。ここで石原裕次郎小林旭のデビュー作を見たし、ゴジラの第一作や「スーパー・ジャイアンツ」、田中絹代の「楢山節考」なんかも見ている。松竹(ぼくのお気に入りは、高橋貞二)の大船撮影所系の映画で丸ビルが出てきたのではなかったか。北鎌倉あたりから湘南電車に乗って丸の内に出社する。会社というのはこういうところで、いつか自分もここへ通うのだろうとおもった。
 後年、東京駅に立つと、丸ビルはすぐ前に見えた。ああ、あれが映画で見た会社か、とおもったが、なかに入る用亊ができるのは、銀座に勤めてからである。挨拶回りで、案内状や挨拶状に粗品を付けて届けに歩いた。丸ビルのなかにも何名かご挨拶にうかがう先があって、個人タクシーを待たせて上がっていった。1軒だけ、事務所には違いがないが、表札のない会社があった。広い室内に、3人ほどの女性が事務をとっている。中年のきちんとして愛想のよい男性がひとりいて、いつも席を立って応対してくれた。ご苦労様、とか、いつも有難う、とか、必ずいたわりの言葉をかけてくれた。相手の仕事中はこちらも気を使うものだが、気兼ねなく気持よく訪問することができた。表札はないが、弁護士事務所か税理士事務所なのだろうとおもっていた。
 ある日のこと、ブルース・ブラザーズのように黒づくめの二人組が、突然、銀座の店に入ってきた。ひとりは小柄で威勢がよく、ひとりは大柄で無口だった。小柄な人が、店の箱を抱えていて、なかには仕立券付きのワイシャツ生地が入っていた。ゆっくりと、もうひと方、あとから入ってこられたが、先の二人組とは別だとおもった。その方は、サングラスこそしているものの、上品でゆったりした物腰で、帽子のつばにちょっと指をかけて砂糖部長に会釈した。どこかの重役か社長のように見えた。そうすると、大柄な無口の人が、やおらドアの前に立って、胸をはって体のうしろに手を組むと、出入り口をふさいだ。小柄な人に火がついて、「おやじがよお、ワイシャツ作りに来たんだよお、さっさと寸法計りやがれ!」と怒鳴るようにいった。おやじと呼ばれた紳士を見ると、黙ってにこにこしている。それでは、この方は、ブルース・ブラザーズの親分か。砂糖部長が採寸をはじめると、小柄な人はぼくをにらんで、「おい、オーダーなら、ネームを入れるのが常識だろうよ。はやく、見本、だせよ!」とまた怒鳴るようにいった。きっと、親分の付き添いを申しつかって、いいところを見せたいのだろう。ケースの上を、てのひらでバーンと叩いた。昔、日活映画には、どう見てもいそうもないよな、というようなヤクザが出てきたが、ほんとうにいるとはおもわなかった。ぼくがネームのサンプルを取り出すと、「けちけちするんじゃねえよ、取りゃあしねえよ」といってひったくると、ひろげてしげしげと眺めて、「このスタイル! おい、このドイツ文字で入れろ」とイニシャルの見本の字体を指差した。それをみると英語の筆記体だったが、えらい方の前で恥をかかせてはいけないから、かしこまって承った。親分の紳士は、ひとことも口をきかなかったけれど、出がけに黒のソフトをちょっと持ち上げて、「よろしく」とだけ砂糖部長にいった。口もとは笑っているのだが、どうやらサングラスの奥の眼は笑っていそうもなかった。
 素性がわかると、今後挨拶回りはやめておこう、と社長がいった。「仕立券をもらうくらいの方だし、丸の内に事務所があるのも大したものだ。ぜひ挨拶回りに行ったら」といって、積極的に挨拶回りをさせたのは、社長ではなかったか。しかし、受けたワイシャツは作らないわけにはいかない。ワイシャツができあがって、丸ビルにぼくが届けることになった。厄介なことは、みんなぼくにまわってくる。丸ビルが消えてしまって、原っぱになっていればよい、とおもったが、そうはいかない。事務所のドアをノックして、なかの返事を待った。ドアがあいて、いつもの愛想のよい中年社員の顔があった。「どうもご苦労様!」と満面の笑みを浮かべるその人の胸にも、金バッジが光っていた。