鉄塔 武蔵野線2

 鉄塔を見に行く前のことですが、ちょうどかよっていた銀座のM歯科の待合室にあった「日本の地理」という本に、武蔵野の10年前の風景写真が載っているのを眼にしました。そこには鉄塔が、長く送電線を引いて、遠くまで点在している姿がありました。それは、ぼくを待っているかのように見えました。これでは、もう、行かざるをえないではありませんか。
 ところが、「75-1」の鉄塔に近づいてみると、どうもなにかが違います。鉄塔はたしかにこの鉄塔です。小説に写真も載っているので、間違いありません。しかし、あんなに克明に、それこそ地図とみくらべながら読むと、道順までわかってしまうくらいリアルに書かれている小説なのに、変電所や地名に架空の名前を当てているのと同じように、細部は微妙に創られているような気がしました。この永遠の出発点、異形の武蔵野線鉄塔に付けられたプレートには、違う番号が書かれていたのです。物語はやはり物語にすぎなかったのでしょうか。
 M歯科の帰りに、銀座の東京電力の支店に恐るおそる寄ってみました。なぜなら、電気料金の支払いコーナーや電気工事の受付窓口はありましたが、鉄塔相談コーナーというのは見当たらなかったからです。はじめ、窓口のきれいな女性は、ぼくがなにをいってるのかわからないようでした。それはそうでしょう、ぼくだってなにをいったのかよくわからないのですから。すぐに女性はどこかに電話して、しどろもどろのぼくの質問を要約して、問合せてくれているようでした。それから、受話器をわたされて、先方の人(武蔵野発電所の係の方)と話すようにいわれました。これも、うまく説明できたか自信がありません。だいたい、鉄塔に関心がある人なんて、そうざらにはいないでしょう。結局、あとで家のほうに連絡くださるということになって、汗をふきふきお礼をのべると、自動ドアを手で開けるような格好をして(われながらぶざまでした)外へ出ました。
 夕方、こんどは東京電力志木支社から電話がありました。ぼくが知りたい鉄塔は、現在、そこが管轄しているというのです。そこで日を改めておじゃますると、送電保守グループ副長のN氏からくわしいお話をうかがえました。ここ数年のあいだに鉄塔を管理する部署が分かれて、鉄塔の番号も付け直されたことがわかりました。鉄塔自体も、刻々と変化して、形を変えているのだそうです。現実の「鉄塔 武蔵野線」の世界は、すでに崩壊してしまったのかもしれません。しかし、かんじんな点はまだ不明なままでした。小説「鉄塔 武蔵野線」のなかに出てくる架空の名称の意味するところです。たとえば「櫛流変電所」とか「真賀田変電所」、「香皿変電所」や「鹿野台」といった地名。これが名付けられ理由です(「いろんな質問を受けましたが、そういえば、そんな質問ははじめてですね」と、N副長は不思議そうな顔でぼくを見ました)。正兼様に地図をコピーして、つなげて1枚の大きな地図をつくり、そこに鉄塔の場所を記して送電線をむすんでやれば、小説のなかの世界が一望できるはずで、それなら、なぜ名前が変えてあるのかも説明してあげたいとおもいました。それには、あとはどうしても、作者にきいてみるほかありません。出版元の新潮社気付で手紙を出すことにしました。
 応接間の椅子にちょこんとすわった正兼様は、「めっきり根気がなくなって、最近は本を読もうとおもっても、同じところばっかり読んでいて埒が開きません」と、ひっそりと笑ってみせました。「武蔵野線に乗って、舅と土地を見に行ったことがあったんですよ、ずっと昔。ある駅で降りて、まわりを見渡すと、向こうに鉄塔が見えたんです。それで舅が、この土地はいけないといって、また電車に乗って先まで行きましたけど、そのときは買わずに帰ってきました。それで、なつかしいなっておもって、本を読みたくなったんです。子どもたちが出てきますでしょ。みんな筒袖の着物をきて。夕焼けに向かって手をつないで走って行く姿が眼に浮かびますよ」(つづく)