アナグラム 3

 上下さんは、二人のお嬢さんに、うちの旦那さまは宝くじに当たったようなもの、と公言してはばかりません。だから、あなたたちも、男を見るときは、よーく眼をひらいて選ぶのよ、女の一生がかかっているのだから。
 上下さんがご主人を射止めた法というのは...。
 赤坂にある会社に上下さんが勤めていたとき、隣りの会社に新入社員が入ってきました。時は4月。どの会社でも新人社員の花盛りです。ぼくみたいに27なんて男はめったにいなくて、大卒の男性はたいてい22か23歳です。いまとちがって、女性は高卒が多く採用されたのですが、その分、24〜5になると退社するのが当然のような風潮がありました(逆算すれば、短大卒・大卒の勤続年数が3〜4年しかなくて、当時の企業が採用しない理由がそこにありました)。
 望ましいのは結婚退職で、職場内で祝福されて辞めてゆくのが一番だったのでしょうが、そうではなくて、年齢が達してしまったためにいかにもそれらしくほのめかして退職する人も、なかにはいました。また、残酷な話ですが、そろそろ、と、上司から肩たたきされることもあったようです。こういう時代では、女子社員の目的は、おのずと早いとこ婿選びといった様相を呈してきます(ぼくのカミさんは、丸の内の証券会社に勤めはじめてすぐ、お局さまのような古参の女性に、結婚相手はこのなかから選びなさい。一生安泰よ、と耳うちされたそうです。ちゃんときいておけばよかった、とたまにいいます)。
 ある日、アンケートを取るために、上下さんと同僚はお昼休みに通りに出ました。新入社員の意識調査といった形式で、通りすがりの新人たちをつかまえて、用紙に記入してもらいました。しかし、じつはこれは大掛かりなインチキで、上下さんが知りたかったのは、たった一人の男性のことでした。「アンケート、よろしくおねがいしまーす」。そういって、まんまと相手の情報を入手したのです。
 その資料によると、上下さんが眼をつけた相手は、まさに理想的な男性でした。実家は東京、しかも持ち家。本人も、東京生まれの東京育ち。大学卒。兄弟はいるが、本人は三番目。さらに、そんなことまでアンケートできくかね、といった感じの「交際中の異性はいますか」という質問に、馬鹿正直にバツがつけてありました(上下さんの、というか世の女性たちの、ガッツポーズが眼に浮かびます)。
 しかし、やがてこの男性とつき合うことになって、それが結婚にたどりつくことになるのですから、発端がどうあれ、きっとこの二人は結婚する運命にあったのでしょう。ハンカチをひろったり、書類の山を落としたり、アイスクリームを洋服にくっつけたり、エレベーターにいっしょに閉じこめられたり、といった映画なんかによくある出会いと同じくらい、この第一種接近遭遇はロマンチックだとぼくはおもいます。
 これでもし、上下さんを打算的で功利的な女性だとおもう人がいたら、それは大間違いです。なぜって、大人ならだれだって、似たり寄ったりの考えを持っているじゃありませんか。持っていないつもりの人は、ずいぶんうっかりしているか、たんに図々しいだけか、その両方の人です。それにまだ、上下さんはようやく二十歳をむかえようとするところでした。
 上下さんが大人になったのは、大きくなったからではありません。上下さんは、子どものうちに大人になってしまったのです。(つづく)