アナグラム 4

 上下さんは、タカラヅカが大好きです。日比谷の東京宝塚劇場での公演も欠かさず観に行きますし、泊まりがけで宝塚大劇場へもこまめに赴きます。「わたしの場合、歌劇団の生徒だから応援するの。卒業したら、もう関係ないの。唯一の例外は、大地真央。真央ちゃんは特別よ」
 上下さんがタカラヅカが好きなのは、子どものときにすでに大人になってしまったことが原因しているかもしれません。「血が騒ぐの、とっても」
 子どものままで大人になってしまうというのは、どういうことでしょうか。
 まわりに大人がたくさんいて、つい話を耳にしてしまい、耳年増になる。これはあるでしょうね。男と女のこととか、ぜんぶわかっていたから、学校で同級生がみんな子どもに見えた、なんていうのはこれが原因でしょう。
 祭りの興奮の中心にいて、外側から見ている人たちとは違った体験をした。これもいえてますね。眺めている人と実際にやっている人では、ウサギと亀くらいのひらきがあります(たとえが的確ではありませんが。ちなみに、上下さんは、最近の祭り装束が肌を出しすぎている、と苦言を呈しています。長袖の丸首シャツに腹掛けをして、パッチに地下足袋をはくか、足袋でわらじをつけて、半纏を着て帯をしめる。鯔背一丁上がり)。
 柳橋や深川、向島の料亭によく連れて行かれた。こんなことは普通ありえないので、船橋ヘルスセンター二子玉川園に連れてってもらった、なんていうのとわけがちがいます。
 そしてなにより、日常生活が芝居のなかの出来事のような暮らしがあります。道で若い衆に会うと、相手が道をあけて挨拶します。通りすがりの人たちは、あら、あの女の子はなんなのかしら、といった眼で見ます。自分は普通でいたいとおもっても、環境がゆるしません。家の中じゅう彫り物だらけという一点だけを見ても、とても普通なんていえません。家のことをきかれるのがいやで、上下さんはずっと友だちをつくりませんでした。
 お父さんは、こういう生活から手を引いて、静かな普通の生活を送りたいとおもったようです。それで、一級建築士の資格を取ると、よ組はおじいさんの下で働いていた人に継いでもらいました。泡坂妻夫さんのように、宿命として紋章上絵師の家を継ぐ人もあれば、上下さんのお父さんのように名代の役職を返上する人もいて、これが人生なのでしょう。
 組の年寄りが病気で亡くなったとき、刺青をぜひ標本にと懇願されて、T大病院に献体したそうです。保存するならうちのおじいさんのほうがきれいだったのに、と上下さんはいいますが、おじいさんの自慢の「桜吹雪に滝夜叉姫」の彫り物は、おじいさんが亡くなると、おじいさんといっしょに焼かれました(銭湯でぼくを叱ったおじさんとは、その後仲良しになりました。家の風呂が直って銭湯に行かなくなってしばらくして、おじさんが訪ねてきました。父は、またぼくがなにかわるさをしたかとおもったようですが、おじさんはぼくが銭湯に来なくなったので心配になって来てみたといいました。坊ちゃんはいつも背中を流してくれたり、頭を洗ってくれたりしたんですよ、と父にいって帰って行きました。おじさんの彫り物は、牡丹に唐獅子でした)。
 「神田明神の氏子は、南天の箸は使わないし、成田山にもお詣りしない」ということになっています。それは、神田明神に祀られる平将門公を射た俵藤太の矢が、成田山新勝寺から下された南天の枝で出来た御神矢だったからです。成田山には行かない、南天の箸も使わない、彫り物するなら将門公の息女滝夜叉姫。義理とひいきを背中に彫ったというのは、そういう意味です。
 こういう家に育つと、「血が騒ぐ」のもやむを得ません。人に話してもわかってもらえないようなドラマチックな半生を、上下さんは過ごしてきたのですから。
 「それなのに、なによカチョー! お使いばっかりこき使って。雨の日も風の日も、雪の日もお届けなんて、もう、ほんとに、上下ちゃん泣いちゃうから!  ユキの日は使いにユカン(そんなバナナ、とか、ヨーカンはよう噛んで食べる、といった類の洒落とおもってください)。靴買ってくれなきゃ、上下ちゃんあした会社来ないからね、もっとも日曜だけど」
 宮尾富美子さんの小説にでもなりそうにおもえた上下さんでしたが、これではせいぜい「つる姫じゃーっ!」(土田よしこ)止まりでしょうか。