彫刻 13

 四谷荒木町のマンションにアトリエを構えていたE氏は、知多半島出身の建築家だった(もともとは彫刻家になりたかったらしい)。
 ある夜、E氏は、少々酔っぱらって来店された。そして、椅子に腰をおろすと、東京の大学にはいった頃のことを話しだした。E氏は、青雲の志を抱いて笈を負って上京した、と大時代的な言い方をした。
「東京の人は、そんな気持はわからないでしょう。はじめから日本の中心にいるのだから」
 しかし、東京に住んで二十年以上たってみると、立ち居振る舞いが東京人以上に東京人らしくなったのを、E氏は自分でも感じるようになっていた。
「それが問題なんですよ。一所懸命、なんとか都会人らしくなりたいと努力した結果が、らしさを越えて、くさくなってしまったんですね」
「はあ」
「東京人にはなれないということです、絶対。カミユが結局、パリでは異邦人にすぎなかったのと同じことです」