彫刻 15

 ぼくの父は、病院の誤診でなくなった。ぼくが結婚して、二年目のことだ。
 父が通っていた北品川の病院の外科部長は、舌がんを口内炎と見間違えた。ようやくそれと気づいたときには、もうどうにも手の施しようがなくなっていた。
 ひとりの患者を、まったく関係のない別の病院に移すのは、容易なことではない。これは経験した人にしかわからない(もっとも、なんでも経験した人にしかわからないけれど)。
 で、移った先の王子の病院で父の担当医になったのは、副院長で外科部長の佐藤先生だった。長髪の端正な顔立ちで、患者にも患者の家族にも人気があった。数カ月前に同じ病院でなくなった友人の甘木のおやじさんも、佐藤先生に診ていただいた。手術を受けないといってごねたら、それからしばらく佐藤先生が無口になったので、見放されたとおもって甘木のおやじさんはあわてて手術を受けた。そのあたりの、患者と接する呼吸が抜群だった。
 先生は、白衣の下はいつもタートルセーターだった。その格好は、先生のトレードマークに見えた。思想的に、心情的にネクタイが性に合わなかったのかもしれない。
 佐藤先生の妹さんは女優だ、と甘木がいった。それも、ぼくもよく見ていたテレビドラマ「若者たち」に出演していた女優だという。それなら、佐藤オリエである。ということは、佐藤先生の父上は、あの高名な彫刻家の佐藤忠良ではないか。佐藤達郎先生が反骨なのも無理はない。
「これもなにかの縁だから、佐藤忠良に小ぶりの彫刻を一個、たのもうかな」
 なにげなく、ぼくは甘木につぶやいた。甘木があきれた顔でぼくを見た。
「むり!」