銀座百店 号外32

 さて、次はわさびさんの番である。
 わさびさんは、会社経営者であるが、ぼくはいわゆるディレッタントだとおもっている。感性の人である。本当は、好きなことだけして暮らせたら最高なのだろうが、環境が(というか、世間が)許さない。こころならずも(といったら叱られるかな)会社社長をせざるをえない立場の人なのである。
 わさびさんの不幸は、なにをやってもすぐにある程度の水準に達してしまうところにある。もとより、ディレッタントは究める人ではない。愉しむ人である。ひとは、ある程度上達したら、うれしくなってもっと頑張ろうとする。さらに上手になってひとを唸らせたいとおもう。しかし、わさびさんには、たぶん、それはない。
 もちろん、出来ないことが出来るようになるのは、喜びでないわけがない。ないのであるが、ここがややこしいところだが、わさびさんには、それだけでもういいわ、といった風情がある。文章をものす、イラストを描く、そして日本画や水彩画にも端倪すべからざる技量を発揮するわけだが、究めようとか突き詰めようとする気がまったく見られない。ここがディレッタントディレッタントたる所以である。いちいちこんなことをいうほうが野暮、愚の骨頂だろう。
 ところで、わさびさんは、いま、俳句に凝っている。凝っている、といっていいのだとおもう。はじめて丸3年。失礼だが、ご自身でもこんなに長く続くとおもっておられなかったのではないか。
 ちょっと待ってくださいよ。ぼくは、わさびさんはディレッタントだといった。それは、凝る力のない血のようなものだ。しかし、俳句には、はまってしまった。俳句だけ、ディレッタントと袂を分かったということか。
 例によって、お仲間がとったわさびさんの句を列挙します。振幅の大きなわさびさんのどの句をとったかで、選句したほうにも火の粉が飛んでこないともかぎらない。俳句の選をするというのはそういうことですよね、あまり先生。