綴じ込みページ 猫-15

 そうこうしているうちに、あの3月11日を迎えたのでした。
 最初のメールは、翌日、鶉さんから届きました。


「そろり会のみなさま


いて丁さん、大変だったみたいですね。
いとこは豊洲の高層マンションの最上階に住んでいるのですが、帰宅後なにも異常はなかったとのこと。大宮の高層マンションの8階に住んでいるおばは、お風呂の水が天井にあたっていた、と言ってました。近所の奥様はやはり7階で冷蔵庫が倒壊してしまったそうです。


いて丁さん、ラジオある? ワンセグあります?
パソコンにつないでワンセグを見るツールもあるので、そういうのを準備しておくといいかも。


ノートパソコンの人はできるだけ充電しておきましょう。うちも最小限の電気だけでやっております。twitter やってる人は、そこで情報収集しているみたいです。


防衛省のすぐ近くですが、夜になってからヘリの音の数が増えてきました。
不穏なニュースも増えて、気味が悪くて仕方ないですが、みなさまどうぞ気をつけて。
ひとりでも多くの方が助かりますよう。
先生もきっとご無事だと思いますが、また来月、明るい笑顔で句会が開催できますよう。
鶉」(註:3月12日)


 わさびさんから、(鶉さんに対する)短い返信が送られてきました。


「いて丁さんは今、うちに避難して飲んだくれてるのだよ。ワンセグより友だちよ。」(註:3月12日)


 メールがきたら、黙っていられないのが、ぼくです。


「わさび様/そろり会の皆様


こんばんは。
いて丁様、そのままそのおうちで飼っていただいたら。そのかわり、序列はシマ子
ちゃん(註:飼い猫)の下です。


昨夜は、銀座のギャラリーのパーティに顔をだしてから、6時50分に練馬に向かって
歩きはじめました。ミーヤが心配でした。食事も朝の分しかあげてなかったし、ふだ
んのちょっとした地震でも揺れていた食器棚が倒れて、ガラスが飛び散ってミーヤに
降りかかるイメージが頭から離れなかったからです。


まず、銀座から三宅坂を上がって九段坂上にでました。ここまでに1時間かかりまし
た。まわりは歩いて帰宅する人たちで初詣の明治神宮のようです。そこからの道順
は、坂を下って飯田橋に行き、大曲から早稲田か茗荷谷方向に進む方法と、市ヶ谷へ
でる方法が考えられました。しかし、ぼくは、大勢の流れを離れ、一口坂から川を越
えて神楽坂上にでる道を選びました。俄然、人数が減り、歩きやすくなりました。日
頃、歩くのはおそいほうですが、昨夜は競歩の選手のような勢いで歩きました。


神楽坂から江戸川橋にでて、川沿いに高戸橋から中井を通って南長崎へ。けっこう大
勢が歩いています。ここまでに2時間かかりました。


南長崎から江古田を抜けて、わが町氷川台へ。本人はスピードが衰えないつもりで
も、だんだん追い越されるようになりました。2時間歩いたあたりから、左足の付け
根が痛みだしました。花粉よけのマスクのなかも、息で湿って最悪です。ようやく家
にたどり着いて時計を見たら、10時をちょっとまわったところでした。


食器棚は、すこしずれたあとがありましたが、倒れてはいませんでした。なかの食器
は若干動いていました。ミーヤが浮かない顔つきで現れました。なんだかからだがふ
くらんで見えます。よほど怖かったのか、からだじゅうの毛が砂丘の風紋のような縞
になって立っています。落ち着かない様子で歩きまわっています。食事も半分しか食
べていません。水の容器からあふれた水が、お盆を越えて床にたまっていました。


1階は、とくに異常がありませんでした。本が1冊落ちて、家内の写真が倒れていまし
た。ガスの表示にエラーがでて、つけても消えてしまうので、外にでてガス器具をリ
セットしました。お湯をわかし、お茶をいれ、仏壇にあげ、食事して風呂にはいりま
した。風呂からでて2階にあがってみると、本棚から本の半分が飛びだして、畳に山
積していました。トランプをシャッフルしたように、本がまぜこぜになっています。
適当に本棚にもどしましたが、それでも1時間以上かかりました。


それから夜中の2時半まで、ミーヤを膝に抱き、テレビを眺めながらずっとなでまし
た。ミーヤはときどき頭をあげ空中を見つめます。からだも硬くして、ぼくが感じな
い揺れを感じているようです。ぼくが寝たあとも、いつものように大騒ぎせず、じっ
とこたつの上で静かにしていました。朝見ると、やはり食事を残していました。


きょう、午前中に我が社の社長から電話をいただきました。安否の確認です。こうし
て、つながる相手につぎつぎに電話しているのでしょう。こちらから電話しなかった
自分にすこし恥じました。


どうやらおもったよりひどいことになっているようで、現実感がありません。いま、
福島で大きな余震があり、そのへんにぽあーんとしてすわっていたミーヤは、あわて
て炬燵のなかに隠れました。昨日も、ひとりで炬燵に逃げこんでいたのかもしれませ
ん。
どうか、皆様、ミーヤにだってそれくらいの知恵があります。困ったときには知恵が
あります。くれぐれもご自愛ください。敬具
飛行船」(註:3月12日)