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 旧かな派の小説家と新かな派の小説家を数人ずつ選んで、双方のいい分を聞こうとおもう。旧かな派のほうは、言葉としては正統だから、いくらでもいる。しかし、新かな派のほうは、ただ新かなで書いているというだけで、はっきりと新かなの効用を述べたものがほとんどない。
 たとえば、吉行淳之介は、「やややのはなし」というエッセイ集のなかの「郷里からの手紙」という一文で、「私は、新仮名・新漢字でいいとおもっているが、(後略)」とさらりといっている。これだけ抜き出してもなんのことやらわからないので、順を追って読んでゆこう。


 郷里にいる母から息子への手紙のなかの一言で、妙に印象に残るものを二つ覚えている。自分についての話ではなく、いずれも活字で読んだものである。(中略)
 もう一つは、井伏鱒二氏の母堂の手紙で、これもうろ覚えである。
『満寿二(井伏氏の本名)や、小説を書くときには、よく字引を引くんだよ』
 あまりに感じの出ている一節で、もしかしたら井伏さんの創作かもしれない。(中略)
 井伏さんの母堂の教えは、さっそく私も守ることにしてみた。たしかに、字引というのは、引くものだ。「あっ」とおもわず声の出ることもある。


 このあと、上記の「私は、新仮名・新漢字で」云々と続くわけである。
 ぼくは、新かなづかいで書かれる吉行の文章は、昭和の作家のなかでも一、二を誇る名文だとおもう。「吉行淳之介全集」は、いつでも手のとどくところに積んである。ところで、ぼくは、心酔するあまり、吉行さんと同じ病気に罹ってしまった。八年前のことである。
(つづく)