綴じ込みページ 猫-211

 築地本願寺に棲みついている猫のニャンニャンが、境内に駐まっている黒のランドクルーザーのボンネットの上で寝ているのが見えた。会社の帰りで、まだ夕方の五時をまわったばかりの時刻である。
 ぼくは、ニャンニャン、と軽く呼びかけながら、ニャンニャンの額に指でふれた。ニャンニャンは、細めに眼をあけてぼくを見たが、また眼をつむった。安心したのかもしれないし、面倒くさかったのかもしれない。頭をなでて、体をなでた。風雨にさらされた毛は、手触りがゴワゴワしている。指を櫛にして毛をすくようにしてなでた。


 帰宅すると、お向かいで郵便物を預かってくれていた。
 独身者になって困るのは、日中届けられる郵便物や配達荷物である。夜に再配達してもらえないこともないが、二度手間で配達する人に気の毒である。お向かい(手芸品店を営んでいる)が親切で、なんでも預かってくれるので、たいへん助かっている。猫のトイレの砂や、オークションで落札した商品、古本屋に注文した本などがとつぜん届いても、ちゃんと預かってくださる。至極便利である。そのかわり、親戚が送ってくれる蜜柑や柿、葡萄などが届いたときには、知らん顔ができない。痛し痒しである。


 預かってもらっていたのは、本だった。ゆうパックで、案外重い。食べられないものとわかって、お向かいのおねえさん(ぼくより年上でもう十分におばさんだけれど、三十年前から知っているから便宜上そう呼んでいる)は、少々、不満げである。
 開梱してみると、なかから「忘れられた詩人の伝記」が出てきた。これは、俳句を習っている大木あまり先生の二番目のお姉様の書かれた本だ。先日、雨の日の句会のとき、あまり先生は重いおもいをしてお持ちくださったのだけれど、全員分の数がなかったので、ぼくは遠慮した。またつぎのとき頂戴すればいいや、とおもった。それで、わざわざお送りくださったのだろう。


「忘れられた詩人の伝記」(2015年4月25日中央公論新社刊)。著者は、宮田毬栄(みやた・まりえ)。大木惇夫の次女であり、「父・大木惇夫の軌跡」と副題が添えられている。四百八十余ページ、上下二段組の大部な本である。
 唐突で恐縮だが、この伝記は、つぎのように結ばれている。


 昭和五十二(一九七七)年七月十九日午前六時、父大木惇夫は永眠する。八十二歳と三か月であった。
 父が望んでいた桜の季節ではなく、蒸し暑い夏の朝、詩人の長い人生は終わったのである。


 その前日、七月十八日にぼくは銀座の舶来洋品店、フジヤ・マツムラに入社した。春には、鎌倉稲村ガ崎に、私淑する詩人、田村隆一を訪問している。
 そのころ、ぼくにとって詩人とは、田村隆一谷川俊太郎、それと西脇順三郎井上靖だった。大木惇夫という詩人に戦後があって、家族とその周辺にも大きなドラマがあったなどとは、おもってもみなかった。
 ぼくは、この本を、うしろから読みなおしてみよう、とおもっているところである。


    遠雷や詩人の伝記ひらくとき 飛行船