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 起業して、いちばんに必要な物は、ビジネスバッグだった。
 銀座の洋品店では、通勤のときでも、サラリーマンが下げているようなバッグは持って歩かなかった。持ち歩く書類なんかなかったからである。しかし、上司の砂糖部長は、黒い鞄を提げていた。弁当箱と新聞紙を入れるために、である。カミサンに弁当を作ってもらっていたぼくも、靴の袋(口のところをひもでしぼる式の信玄袋みたいなやつ)をいつもぶら提げていた。砂糖部長と同じ鞄がほしかったけれど、それは店の職人さんがこしらえたゴート革製で、口がファスナーで仕切りもないただの手提げ鞄なのに、十万円くらいしたからとても無理だった。
 職人さんの墨田区のお宅に用事でうかがったとき、その話をしたら、あんたなら工賃だけでいいよ、といってくれた。が、まさか会社に持っていけるわけがないではないか。そういって断ると、だからあんたはいつまでもペーペーなんだね、とうれしそうに笑った。
 職人の仕事だけでは暮らし向きが苦しいので、奥様が駄菓子屋を営んでいた。そのケースから好きなキャンデー出して食べていいよ、といってくれるので、いつも杏味のキャンデーを取り出して百円置いた。あんただけだよ、遠慮してお金払うのは。ほかの若いやつらは、只だとおもってさ、ひっかきまわして、お母ちゃんに叱り飛ばされてるよ、あはは。


 外商といって都内の顧客を訪ねるときは、お店の紙の手提げ袋に商品を入れてうかがった。コートのように大きな品物の場合は、大きな鞄(旅行用のサムソナイトのような)や、たいてい、段ボール箱に入れて自家用車で運んだ。立派な豪邸に段ボール箱で運び込むというのも、あれは昭和という時代だったのだな、としみじみおもう。


 いまも使っている黒い鞄は、TUMIというアメリカ製のショルダー兼用バッグである。二十年前、はじめて日本上陸したてのころ、ユナイテッド・アローズで購入した。TUMIなんてメーカーはまるで知らなかったが、カミサンはファションの面ではセンスがあったから、ぼくは彼女に従うしかなかった。従ってよかった、とおもう。TUMIは、数年して、多くの(そこそこお金のある)サラリーマンがこぞって持つようになった。友人の甘木が、グアム旅行から帰ってきたばかりなんだけどさ、といって電話してきたのも、ぼくが持つようになってから数年後のことである。
「おい、むこうではTUMIというバッグがいま流行ってるぞ。パソコンを入れることもできるんだ。いや、パソコンを入れるために開発されたのかな。おれも早速買ってきちゃったよ。おれって、ナウいだろ?」