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 高校生の頃、深夜のラジオ番組を聞きながら勉強することがよくあった。ある晩、その日は永六輔がパーソナリティをつとめていたが、これからぼくの好きな俳句を読みます、と断って、山頭火の句を読みはじめた。ぼくはぼんやりと聞いていたが、途中ではっとして、あわててノートに書き写した。
 

 当時、種田山頭火という俳人のことはなにも知らなかった。だいいち、山頭火の句集なんて、町の古本屋にも並んでいなかった。後年、昭和三十三年刊の現代日本文学全集91「現代俳句集」(筑摩書房刊)を神田の古書店で見つけ、そこに収録された「種田山頭火集」ではじめて知ることになる。永さんのタネ本はこれかな、とちらっとおもった。
 

    うしろ姿のしぐれてゆくか
    鉄鉢の中へも霰
    笠へぽつとり椿だつた
    夕立が洗つていつた茄子をもぐ
    

 ノートには、もっとたくさんの句を書き留めたけれど、いま、「山頭火集」を読みなおしてみると、たしかに書き留めたと確信できる句は、これだけしかない。うろ覚えで書いて、もし永さんが読み上げていなかったら失礼だから、やめておく。


 週明けの数学の時間に、机のあいだを行きつ戻りつしながら説明していた担当の脇坂先生が、ふとぼくのノートに眼をとめた。そして、ノートを手にとると、なんだ、タカシマ、といった。それから、ノートを頭上でひらひらふって、クラスメートの注意を引いておいて、いった。
「おまえら、いいか。こんなふうに一冊のノートを使いまわすような真似はするなよ。できない生徒のすることだぞ」
 ぼくは赤面した。山頭火の句を書き留めたのは、数学のノートだったのだ。