大木あまり詩画集「風を聴く木」『1-駅』

 駅


桐の咲く風景が
見たくてあの日は
遠まわりして
学校に行く途中だった。


桐は駅ごとに
淡い紫の花を
咲かせていた。


電車がT駅に着くと
あの人がぶらりと
乗ってきた。
そばに行こうとしたら
あの人はひとりではなかった。
当惑して本を読みだした
わたしに気づかず
あの人は吊革に
つかまって
外の風景を見ていた。
連れの女は
もう若くなく
鬼がわらのような
顔をしていた。


十九歳の無分別な
娘でいよう。
大人たちの仕掛けた
罠に近づいては駄目。
傷つくだけだから。
うつむいてないで
桐の花を見よう。
電車に揺られながら
わたしは自分にいい
聞かせていた。
移りゆく風景の
中の桐の花は
雲の影に入ったのか
うすうすと咲いていた。


終点のS駅に着くと
あの人は女に背中を
押されるようにして
人波の中に消えて行った。


わたしがものごころ
ついたときから
あの人は老人だった。
酔っては泣き
自分が英雄といっては
泣いた。


不用意な
あの人の言葉に
傷つき黙って
いるとあの人は
子供の小さな
抵抗さえ解さず
おとなしい子だねといった。
わたしたちは
同じ車輌の
孤独な乗客に
なれたが
父と息子ではなかったから
闘うことは しなかった。


西行のように
花の季節に
死を願いながら
あの人が死んだのは
夏だった。


炒られるように
蝉が鳴いていた。
細い骨を拾いながら
あの人の死を
不思議なほど
冷静に受けとめられた。
とっくの昔に
S駅で わたしたちの
別れの儀式
終っていたから。


あの日
あの人の老いた
背中にむかって
わたしは
さようならを
何度もいった。
自分しか
愛せなかった
あの人の忌日を
わたしはひそかに
巣淋の日と よんでいる。


風に揺らぎ
雨を溜め
日を吸って
桐の花は
甦るために
散ってゆく。


桐の花を見る
たびに
さようならと
つぶやいてみたくなる。