銀座のイカロス

 そのはしごは、主に天袋と呼ばれる天井近くの収納から、物の出し入れをするときに使用していました。 はしごは、特別に注文して作らせたもので、親指の太さくらいの金属の管(水道管を想い浮かべてください)で出来ていました。先の部分が、棚の上のパイプの手すり(図書館の高い本棚に取り付けられているあれです)に引っ掛けられるように、ちょうどうまい具合に曲がっていました。地面に着くほうは、滑らないようにゴムの滑り止めがはめてありました。
 ふだんは、じゃまになりますから、棚と壁の30センチほどの隙間に立てかけてしまってあります。貴金属の箱とかのし紙の水引とか、たまにしか用のないものを取り出すとき、やおらこのはしごを隙間から引っ張りだして、手すりに固定し、とんとんと上がってゆきます。細いのに丈夫で軽かったのですが、力をいれて段に足をかけると、大きくしなうことがありました。観音開きの戸をあけて、そこから必要なものを取り出して、下で見上げている人に手渡します。古い造りで天井の高い店でしたから、はしごのてっぺんまでのぼると、眼の高さは4メートルちかくあったのではないでしょうか。
 ぼくは、自慢ではありませんが、高所恐怖症です。小さいころ、遊びに行った隣りの家の2階にはじめて上がって、いざ下りるだんになったら、階段の上で足がすくんで動けなくなりました。うちは平屋だったのです。わあわあ泣いて、その家の人に降ろしてもらいました。そのとき、自分は高いところが苦手なんだと学習しました。しかし、仕事となると、怖いなんていっていられません。まさか上司に、かわりにのぼってください、ともいえませんし、スカート姿の女子社員をのぼらせるわけにもいきません。勢いであがっていましたが、有金君がいるときは有金君に、後輩がいるときには後輩にまかせました。
 ぼくは9年間、11階に住んでいたことがありますが、あんまりベランダには出ませんでした。夜、寝るとき、ああ、自分が横たわっているのは、地上11階の高さの空間なんだな、といつもおもいました。いまは2階で寝ていますが、それでもときどき、宇宙の中心に浮かんで漂っている感覚に見舞われることがあります。
 ショウウインドウは、脚立を立ててその上に立ち上がっても、手がガラスの上の端まで届きません。それで、ガラス拭きをするときは、はしごをガラスの面に立てかけて拭きました。それなら楽に届きます。それと、入り口のガラスのドアの上側には、もう一枚ガラスの回転窓があり、天井までとどくその窓を、気候がよくなると斜めに半分あけていましたから、ときどき積もったほこりを拭いてやる必要がありました。これもドアの上の梁のところに、はしごを斜めに立てかけて(梁のときもガラスのときも、はしごの先の曲がっている部分がじゃまで、反対に上向きにして立てました)、だれかに押さえてもらって掃除します。入り口の床は、ゆるいスロープになっていて、しかも敷石がすこしすり減ってつるつるしていたのです。
 回転窓掃除日和というのがあったら、その日はまさにそういう日でした。入り口の敷石は、おそうじのおばさんがモップで洗ったばかりでまだちょっと湿っていましたが、早く片付けないとお客様が押しかけてきそうないい天気です。ぼくは、はしごを持ち出して、女子社員に押さえてもらってガラス拭きしにのぼって行きました。やはり、高いところは抵抗がありますが、はしごを支えてもらっていれば安心です。ガラスを拭くときには、まず濡れたタオルで表面をぬぐい、乾いたタオルで二度拭きします。しばらく放っておいた窓ガラスは、砂埃がこびりついていて、濡れタオルはすぐに真っ黒になりました。女子社員ははしごから手を放すと、汚れたタオルを洗いに店のなかに戻って行きました。
 ぼくは、なんの気なしにもう一段、上にあがりました。そして、乾いたタオルでガラスの濡れている部分を、すこし強くこすりました。二度三度、勢いをつけてガラスの表面を磨いていると、足もとではしごがそのたびにしなります。あともう一回、とおもって腕を動かしたそのときです。はしごの先端が、立てかけた窓枠の梁からふわっと浮かびました。しなってバウンドしたのです。次の瞬間、はしごの脚に付けたゴムがずるっと滑って、ぼくの身体は一瞬空中にとり残されたとおもったら、はしごのあとを追うように落下しはじめました。店内でこちらを見ながら立ち話をしていた鎌崎店長の顔が、眼を大きく見ひらいて、うわーっ、と驚愕の表情に変わるのが見えました。背中を向けていた釜本次長が、店長の表情に驚いて、ゆっくりと振り返ろうとしたのがわかりました。墜ちるまでの、一秒の何分の一かの刹那が、スローモーションのように時間が伸びて、そのあいだにいろんなことを考えました。ガラスのドアに頭から突っ込むのではないか、とふとおもいました。そうしたら、きっと血だらけになるだろう。はしごを握った指を早く放さなくっちゃ、さもないと体重がかかったまんまはしごと石畳のあいだにはさまれて、指の骨が粉々になるかもしれない。それにしてもなんて格好わるいんだ。帰ってカミさんにはなしたら、なんていわれるだろう。そして、石の上に落ちた拍子に足の骨でも折れなければいいな、とおもうと同時に、掌と膝から激しく地面にぶつかりました。
 店長と次長と女子社員が、あわてて駆け寄ってきました。ぼくは、ふつうに立ち上がると、掌をひろげてみました。強くぶつけたけど、すこししびれているだけでした。それからズボンをまくって、膝小僧の様子を見ました。さいわい、赤くはなっていましたが、お皿も割れていないようでした。「驚いたなあ」と、店長がいいました。「窓を拭いているのを眺めていたら、突然すとんと落ちるんだもの」 「それでも」と、次長がいいました。「けろっとして怪我もしてないなんて、彼らしいよね」 。ぼくは、けっしてけろっとしていたわけではなくて、はしごの端が離れてから、地面に墜落するまでの長かった時間を、もう一度、ぼーっと噛みしめていただけでした。宇宙の中心からどこかに向かって落ちて行ったのはたしかですから。
 翌日、両手の掌は紫色に腫れ上がっていました。両足の膝頭も丸く紫色に変色していました。それよりも驚いたのは、みゆき通りのよそのお店の人たちに、ぼくがはしごから落っこちたことが知れわたっていたことでした。通りを隔てた向かいのどの店でも、だれか一人はぼくの墜落を目撃していたのだそうです。ぼくは、しばらく、ちょっとした有名人でした。はしごから墜ちた間抜けなイカロスとして。