掛け売りと小切手

 銀座の商店で、いま、掛け売りという方法をとっている店が、はたして何軒残っているでしょう。
 掛け売りとは、「岩波国語辞典第二版」には「即金でなく、あとから代金をもらう約束で、品物を先に渡して売ること。貸売り。かけ」と出ています。まだ、カードがいまほど普及していなかった時代に、現金の持ち合わせがなくても、信用でお買い物ができるシステムでした。。「銀座百点」の読者のページに、「銀座で、かけでお買い物できるようになるのが、結婚したときの夢でした」と、夢が実現したのを喜んでいる投稿が載ったことがありました。帳面で買い物をするということは、ちょっとしたステイタスだったのです。
 毎月きちんと入金される方もあれば、金額がまとまったときいっぺんに支払われる方もいらっしゃいます。当時政治家だったH氏の場合は、半年に一度まとめて清算されたので、一回の集金が結構な金額になりました。あるとき、赤坂の事務所にうかがったぼくは、玄関先でお札を勘定したのですが、あまりに札束が厚くて手に負えず、おもわずばらまいてしまったことがありました。あわててしゃがんで、お札を鷲掴みにしましたが、よく考えてみれば盗られる心配などありません。立ち上がった目の前の壁に、「道理が吾にあるならば、千万人といえども吾往かん」と書かれた色紙が掛かっていました。
 ぼくは、お札を器用にあつかえません。ふだんはトランプのカードを配るように、一枚ずつテーブルの上に置いていきます。十枚になると、つぎはクロスして積み重ねるか、となりに並べて置いていきます(途中で困ることもあります。応接セットのテーブルは、灰皿やコーヒー茶碗が載っていると、意外にせまいですから)。その間、先方もぼくの手もとをじっとみつめているわけですが、ようやく無事にかぞえおえると、お互いにほっとして、顔を見合わせておもわず笑ってしまうこともありました。だから、扇子のようにお札をひろげて、ぺらぺら勘定できる人など、ぼくにとってはほとんど宇宙人です。
 尾張一宮のN氏のお宅に、自動車外商していたとき、お支払いは小切手でした。これは、金額が入っているだけで、一枚の紙っぺらですから、簡単で便利です。なにより、かぞえなくてすむのが重宝でした。N氏は、おうかがいすると、前回の分を小切手で支払ってくださいます。そして、半年の利息分だといって、またお買い物をしてくださるのでした(もちろん掛け売りには、どんなに長期の支払いになっても、利息はつきません)。
 N氏のお宅にうかがうと、一族を呼び集めて、それこそ展示会のような按配でした。商品のつまった旅行用のケースを七つ、廊下に運びこむと、広い居間を三つ使って、あっちでもこっちでも試着がはじまります。最初のうちこそ、衣類をひろげたりたたんだりしていますが、そのうちひろげっぱなしになって、なにがなんだかわからなくなるのが常でした。。いつも夕方の6時ごろにおじゃましたのに、気がつくと、いつのまにか11時をまわっているのでした。ようやく一段落して片付けおわると、N氏は小切手を出してこられます。その日は、「わるいけど、日にちを先にしておくから、よろしくたのむ」といって、小切手を渡されました。
 事務所の経理の銀河さんは、何十年のベテランでしたが、そのときはどうかしていたのでしょう。ぼくは、先付け小切手、とことわりました。銀河さんは、築地で卵焼きを買わなくっちゃ、とぼんやりおもっていたといいます。食べきれないほど食料を買いこむのが、彼女の趣味で、なによりの楽しみでした。しかも、気に入ったものは毎日でもよくて、それがしばらくつづくのでした。
 数日後の朝、開店と同時にN氏から電話が入りました。電話のむこうでN氏は相当あわてていました。「おみゃーさん、おれの会社をつぶす気でおるんかよ。いま、取引先の銀行から電話がありゃーして、どえりゃーおどろかされたぎゃー。Nさんよー、まだお金の入ってにゃー口座の小切手がまわってきちょるよー、落してまったら困りゃーせんかっていってきたでよ。あんた、先付けの小切手落してまったら、あかんでいかんわ。知っとる担当者でえれえ助かったぎゃー、かんにんしてちょーよ」。
 ぼくは、あわてて事務所にとんで行きました。ちょうど、築地に寄ってきた銀河さんが出社したところでした。「また、卵焼き、買ってきちゃった」。
 つぎの外商のとき、N氏はじっとぼくを見て、「もう小切手はこりてまった」と小さな声でいいました。そうですね、と小さくうなずきながら、ぼくはうんざりしておもいました。また、お札、かぞえなくちゃいけないのか。