ゲッタウェイ!

 サム・ペキンパー監督とジェームス・コバーンが、映画『戦争のはらわた』の宣伝に来日したのは、何年頃だったでしょう。映画のほうは、1977年に製作されています。
 深夜番組に二人がゲストで出てきましたが、生番組だったため、放送時間中に近所に住んでいた川谷拓三が、たまらずにスタジオにやってきました。サム・ペキンパー監督の大ファンだったのです。酩酊していたのか上機嫌で、ペキンパー監督の顔を見るなり、「ゲッタウェイ!」と叫びました。一瞬、笑顔だったペキンパー監督の顔がこわばりましたが、拓ボンはいっさいおかまいなく、「ゲッタウェイ!」と連発しました。
 原題は、『THE GETAWAY』(1972年)、スティーヴ・マクィーンとアリ・マグロウが共演しています。定冠詞がついて、あえて訳せば『逃走』という題名です。拓ボンは、「ザ・ゲッタウェイ」と叫ぶべきだったのです。「ゲッタウェイ」では、「去れ」「あっちへ行け」といっているようなものです。ペキンパー監督は、ジェームス・コバーンと顔を見合わせていましたが、さすがにすぐに察して、この憎めない男が自分の作品をいたく買ってくれていることを喜んでいるようでした。
 翌日、矢村海彦君から電話があって、「拓ボンが乱入してきたテレビみました?」ときかれました。「まったく、拓ボンは馬鹿だから、わかってなくてゲッタウェイを連呼するので、ひやひやしましたよ。ご存じならいいんです。では、また」。
 ぼくは、あ、ちょっと待って、といって、きのうの昼間あった話をしました。
 背の高い、がっしりした外国人が、ぶらっと店に入ってきて、ひとわたり店内を見まわすと、鎌崎店長にウィンドウのベレー帽を見せてくれといいました。店長は、英会話が堪能です。そのベレー帽は、その外国人には、少々サイズが小さめでした。外国人は、それでもいいから、かぶろうとします。どうもやはりきつそうです。すると、ベレー帽の内側の汗止めというんでしょうか、ぐるりとひとまわりしている皮の部分を、切り外せといいました。すこしサイズがひろがりましたが、なんだか生地だけになってしまったようです。それでも、満足そうにそれをかぶって、鏡にうつして歯をむきだして見せました。
 「まるで、ヘミングウェイのようですよ」お世辞のつもりか、店長がいいました。「だれが?」「いえ、あなたが」外国人は、ぎろっと店長を見ると、「ちがう。イギリス人だ」といいました。アメリカ人なんかといっしょにしてもらいたくないね、といった口調だったので、店長はあわてて口をつぐみました。
 その間、終始ポケットに手をつっこんで、外でにやにやしながら待っていた連れの外国人がいました。身長は190センチ以上あるでしょう。きちんとスーツを着て、ネクタイをしめています。スリムに見えますが、がっしりとした体つきです。サングラスをかけて、白い歯を見せているその連れは、まぎれもなくジェームス・コバーンでした(あとで綿貫君が、いままで見た外国人のなかでいちばんエレガントです、と感想をもらしました。最高を評するときでも、まあまあですね、という彼が)。
 「でも、なんでイギリス人だなんていったんですかね?」といって、矢村君は電話を切りました。
 いまでも謎です。