藤山寛美さんのシャツ

 藤山寛美さんの公演が新橋演舞場であったとき、当時の松竹の支配人さんが、お礼にワイシャツをプレゼントすることになった。秘書のSさんがぼくをひいきにしてくれていたので、それで推薦してくれたのかもしれない。
 藤山先生は白しかお召しにならないからそのつもりで、という電話だったので、白無地と白ドビー(白の地に織り柄の入ったもの)の生地を揃えて、休憩時間に合わせて演舞場にうかがった。
 支配人さんにつれられて、舞台の下の、奈落というのだろうか、深いところにある通路を通って、出演者の控え室まで案内された。演舞場の社長室にはよくうかがっていたが、劇場の裏側を歩きまわるのははじめてだった。
 浴衣姿の藤山さんは、もうお化粧も落して、さっぱりした顔ですわっていた。支配人さんが部屋の外から声をかけると、藤山さんは座布団からおりて軽く会釈した。ぼくは、畳に両手をついてお辞儀をした。
 それから、 シャツの生地を取りだして畳の上に並べると、藤山さんは、ええ、もうなんでもよろしゅおます、となげやりな小さな声でいった。
 それでは困りますから、どうぞお選びください、とぼくはいった。3枚どうぞ、と支配人さんがいった。
 藤山さんは、そうでっか、とつぶやくと、これ、これ、これ、といって3枚指さした。よそ見しながら、適当に指をさしたように見えた。 
 ご寸法をいただきます、とぼくはいった。ご面倒でも計らせてやってください、と支配人さんがいった。
 ええ、もう、よろしいがな。ここにしょもないシャツやけど、クリーニングしたのがおますさかい、これと同じにしてくれはったら、それでかましません。
 ぼくはそれをお預かりすると、また両手をついてお辞儀をし、おいとました。部屋を出るとすぐに、張りのある声がうしろでした。ごくろはんでおましたな。ちょっと頬のあたりに笑みをもらして、のれんを分けて立っていたのは、まぎれもなく舞台の藤山寛美だった。
 店にもどって、持ちだした生地を検品してみると、藤山さんの選んだ生地が断然光っていた。仕立てあがったシャツは、進物の包装をして、お預かりしたシャツといっしょに演舞場に届けた。そのとき、生地のことにふれてみた。なんだか無造作に選んだようでしたが。 支配人さんは、きみもまだまだだな、といった顔をして、そりゃあ、役者がちがうよ、といった。