怪しい来客簿

「こわいから、逃げてきちゃった」
 麹町の料亭のおかみさんは、特徴のあるハスキーな声でいいました。
 きっと、子どもの頃、築地界隈のがき大将で、おはるちゃんと呼ばれたりしていたときにも、やはりこのハスキーな声だったのでしょう。
 その日、作家の対談がその料亭であって、どんな人かのぞいてみたら、容貌魁偉、長髪でザンバラ髪の肥満体の男が、のっしのっしと廊下を行くのが見えたといいます。
「ばくち打ちだっていうじゃない。半端じゃないの、まるでやくざね、小説家だっていってたけど」
 おかみさんは、思い出して、もう一度身震いしました。ぼくは、吹き出しそうになって、下を向きました。そうかもしれません。知らない人が見たら、みんな同じ感想を持つでしょう。ぼくは、訂正しようとおもって、口まで出かかりましたが、やめました。余計なことです。しかし、そのやくざに見えた小説家は、実は昭和を代表する作家の一人だったのです。しかも、噂では、人見知りで、知らない人には借りてきた猫よりもおとなしい、という話でした。
 昭和52年4月に、話の特集より「怪しい来客簿」は刊行されました。ぼくは、2月いっぱいで商船三井のアルバイトをやめてから、なんとなくぶらぶらしていました。気が抜けて、もう大学にも戻る気はなくなっていました。友人の矢村海彦君から、「黎ちゃん、そんな与太者みたいな生活はやめろ」と叱られたりしていました。そんなとき、渋谷西武の地階にあった書店話の特集で、この本が山積みになっているのを見つけました。
 山口はるみさん装幀のカヴァーには、銅版画のようなタッチで、ネクタイをして上着を着た男の、椅子に腰掛けた胸から下の姿が描かれています。くつろいで坐っているのか、足を組んだ膝のあたりで交叉した手の片方の指先には、喫いかけのタバコがはさんであり、タバコの先から煙りが立ち昇っています(その絵が描かれたかヴァーは白で、線だけの絵は黒、赤の題字が四角い6つのグリーンのなかに並んでいます。帯も白で、赤い文字で印刷された藤原審爾吉行淳之介の推薦文が載っています。お二人とも、フジヤ・マツムラの顧客名簿に名を連ねておられました)。
 首から上がないトルソのようなその絵は、題名とあいまって、なんとなく禍々しい印象をあたえました。作者の名前もはじめてきくものでした。この作家は、もう一つ、もっと有名な筆名を持っていたのですが、麻雀に興味のないぼくには、いずれにしても縁の薄い名前でした( 阿佐田哲也。これも、前にお話ししたアナグラム、文字の書き換えです。吉行さんとの対談で、映画「ハスラー」の日本語版みたいな意味合いの名前がいいとおもって「徹夜して朝だ」から「朝だ徹夜」とした、と説明しています)。
 この1冊を手にしたことで、ぼくのなかでなにかが変わりました。氷が水に変化しても、本質は変わりません。しかし、氷と水では、それこそ個体と液体ほどの違いがあります。胸の奥でずっとかたまりになっていたものが、ゆっくりと融けてゆくのを感じました。
 色川武大。ぼくの大好きな作家の一人です。いつもそこの角まで来ている気配があるのに、とうとうお目にかかりませんでした。亡くなった樋口修吉氏は、やはりフジヤ・マツムラの顧客のお一人でしたが、通りがかりに眼が合うと、「今度の作品で直木賞とったら、きっとワイシャツ作るからね」ときまって笑っていわれるのでした。「怪しい来客簿」を読んで、とりわけその後記に感動して小説を書くようになった、という樋口氏は、慶大卒、三井物産勤務という経歴をなげうってギャンブラーだった時期もあり、「怪しい来客簿」の作者の弟分を任じてもいました。次に樋口氏が寄られたとき、料亭のおかみさんが逃げてきた話をすると、ほんとに嬉しそうに小さく何度もうなずきました。