続々 値札付けのおばさん

3人目の値札付けのおばさんは、豌豆さんだった。
 豌豆さんは、結婚してからずっと主婦をやってきて、結婚前にも勤めたことがなかったから、50歳にしてはじめて仕事というものについた。
 二人の子どもが大きくなって、ぜんぜん手がかからなくなってみると、なんだか自分がたいへんな忘れ物をしていたような気がしだした。そこで、唐突に、キャリア・ウーマンになりたい、とおもった。ご主人に話すと、あなたの好きなようにやってみなさい、と賛成してくれた。
 豌豆さんの考えるキャリア・ウーマンは、高いヒールの靴をはき、四角い感じのスーツを着て、固い皮の書類鞄をさげて颯爽と歩く女性であった。値札付けのおばさんでは、ずいぶんイメージとかけはなれていたが、一応、事務職にはかわりはない。自分に実績がない以上、妥協するのも仕方がなかった。
 ご主人は、ビル持ちで、土地持ちで、会社役員もしていたから、豌豆さんはいわゆるリッチな奥様だったわけで、趣味をいくつも持ったり、テニスや水泳に通ったり、友人たちと優雅にお茶や食事をしたりして日を暮らしてきた。なにを好きこのんで、値札を作ったり、重い袋に商品を詰めて支店に納品に行ったり、入荷した商品の検品をして汗を流すのか。忘れ物とはなにか。
 小柄でぽっちゃりした豌豆さんは、くやしいことに外反母趾で、かかとの高いほそい靴がはけなかった。かかとがなくて、丸いずんぐりしたパンプスは、キャリア・ウーマンらしくなかった。肩の張ったスーツも、なで肩の豌豆さんには似合わなかった。女らしい、やさしいラインの服しか似合わない。皮の書類鞄だって、豌豆さんを裏切った。持って持てないことはなかったが、ご主人の鞄を持って歩いているようで、やはりなんだかおかしかった。やわらかい、丸ぽちゃのバッグが、結局、自分にはふさわしかった。
 それでも、郊外の高級住宅地から、豌豆さんは通勤定期で有楽町へ出勤するのである。通勤定期というのが、なんともキャリア・ウーマンらしくていい。こればかりはみんな共通だから、いばって改札を通る。そして、声をださずにまわりの女性に呼びかけてみる。『丸の内に向かうお嬢さん、あなたもキャリア・ウーマン? わたしも銀座へこれから出勤なの、ふふふ』。豌豆さんは、背筋をのばして、左右の足をすっすっとだして、ちょっとすかした歩き方をしてみる。キャリア・ウーマンなのだから。
 何年かして、めずらしく豌豆さんが無断で休んだ日があった。繁忙期だったので、値札作りに追われる日々で、その担当者が休んでしまっては、なんともはかどらない。翌朝、豌豆さんはいつもとかわりなく一番に出勤してきたが、いつもと違ってむっとして、取りつく島がないように見えた。
「豌豆さーん」
 ぼくは、かたくなな態度の横顔に、おどけて声をかけてみた。すると、雑巾をしぼっていた豌豆さんは突然、堰を切ったようにわあーっと泣き出した。ぼくは、なにか豌豆さんを傷つけたかとおもって、いま自分がなんていったか、あわてて思い出そうとした。名前を呼んだだけだった。
 あとで豌豆さんと仲良しの上下さんからきいた話では、豌豆さんはそのとき、もしぼくが休んだことを詰問したら、反対に噛みついてやろうと身構えていたのだそうだ。豌豆さんにとって、はじめての無断欠勤だったけれど、それは豌豆さんが信じるキャリア・ウーマンにはあるまじきことだった。どんなにいけないことか、自分が一番よく承知していた。しかし、きのうは、ほんとに緊急の事態だったので、とても電話どころではなかったのだ。それをなじられたら、自分も黙ってはいられない。豌豆さんは、ひとしきり泣いてしまうと、気がおさまったのか、ぽつぽつ話しはじめた。
 健康だったご主人が、突然、発病されたのだった。病状を知らないご主人は、いたって呑気で、入院先のベッドにのうのうと横たわった。その姿を見ながら、豌豆さんは決心した。ご主人の前でも、子どもたちの前でも、けっして涙をみせないで頑張ろう。それで気が張って、ずっと我慢していたのに、ぼくの間抜けな声をきいて、おもわず気が抜けてしまったのだ。
 ぼくは、豌豆さんに、ご主人に付き添うなら、会社の仕事はみんなでカヴァーするから心配しないでいい、といった。社長の了承が必要なら、ぼくが掛け合おう。ぼくにはそんな力はないけど、社長はわからない人じゃないよ。だれかがかわりばんこに値札を作るし、どうにかなるさ。
 しかし、豌豆さんは、会社は休みません、といった。わたしが付き添えば、主人はきっと病状のことを勘ぐります。それに、きちんと会社にでて仕事をしていたほうが、わたしも気がまぎれますし。それより、必ず定時に帰してください。そのかわり、残業しなければ片付かない分まで、きっと時間内にしてみせます。
 社長は、定時の5時半を30分繰り上げて、豌豆さんを帰してくれた。場合によっては、4時半に帰してくれた。豌豆さんは、昼頃早退する日は1時間以上早く出社して、始業時間にみんなが出社するころには、もうひと仕事終えたりしていた。前よりもっと、しゃんとして見えた。
 ご主人の葬儀は平日だったので、ぼくらはお通夜にしか行けなかった。それも、定時と閉店時間にひらきがあったから、定時で帰れる事務所の人たちと、閉店時間の6時半までいる店の人たちの2組に別れて、お通夜に行った。
 豌豆さんは、ご主人がなくなられて6年目に、7回忌をすませてからご主人と同じ病気でなくなった。やはり豌豆さんは、貞女・賢夫人が似合いだったんだな、ともおもうし、いや、あの日のがんばりと強い意識は、立派にキャリア・ウーマンのものだった、ともおもえる。それにしても、忘れ物は見つかったのか。