長谷川一夫先生

長谷川一夫先生がいらしたとき、それをきいた値札付けのおばさんの川中島さんは、色紙がなかったのでノートを切り取って、あわてて事務所からとび出してきた。そして、店の裏口から入ると、試着室のカーテンのかげからそっと様子をうかがった。
 ぼくは、長谷川一夫といえば、子どものころに場末の映画館で観た、3本だての時代劇を思い出す。シリーズものの「銭形平次」や名前が変わっているのでおぼえている「月形半平太」、上編と下篇があった「雪之丞変化」(これはリバイバル上映で)なんかだ。でも、来店されたそのころは、俳優としてよりも宝塚の「ベルサイユのばら」の演出家としてのほうが有名だった。しかし、大正生まれの川中島さんにとっては、長谷川一夫といえば特別な存在だったのだろう。
 川中島さんは、お買い物ちゅうの長谷川先生にむかって、ふらふらとした足どりで近づいていった。釜本次長が、「だめだよ、川中島さん!」と注意した。川中島さんは、それがきこえなかったのか、酔ったような足どりで長谷川先生のそばまできた。顔が上気して、眼もうるんでいる。
「あの、わだし、フアンなんですけど、サインくださいませんか」
 そういって、恐るおそるノートを切った紙を差し出した。ぼくは、せっかくサインをいただくなら、もうちょっとマシな紙がありそうなものだ、とおもって見た。
 長谷川先生は、迷惑そうな顔もされずに、ちょっと微笑んで、紙といっしょに渡されたボールペンでサインをされた。
「あああ、ありがとうございます。やだあ、わだし、恥んずかしいー」
 川中島さんは、いただいたサインで顔をかくして、お辞儀をしてそそくさと立ち去った。ぼくは、あとで川中島さんは、きっとひどく叱られるだろうな、とおもった。
 長谷川先生は、急に背筋がのびて、顔が輝きだしたように見えた。ぼくは、何度もご自宅にご挨拶にうかがっているのに、ご本人にお会いするのははじめてだった。それで、実物が入っていらしたとき、あの長谷川一夫はもうこんなにおじいさんなんだ、とひそかにおもった(申しわけございません)。それが、ひとりのフアンがサインをねだったあたりから、ふっと人が変わって、とつぜんしゃんとされると、声の調子に張りが出て、眼に力がこもりだしたように見えた。おじいさんとばかりおもっていた方が、いつの間にか色っぽく、いきいきとして見えるようになった。
 川中島さんが乱入してきたのは、ちょうどネクタイを選びかけたところだったが、先ほど鎌崎店長がすすめたときにはうんとおっしゃらなかったネクタイを、あらためて手にとってじっとながめられた。
 フランス製のアラン・カラムという1本1本手作りのネクタイで、手描きの絵で柄が入っていたり、染料を吹き付けて色づけしたりして、同じ柄のものは2本となかった。派手なネクタイで、よほどおしゃれか、きれいなネクタイが好きな方でなければ、とてもではないが似合わないネクタイだった。
 その水色の特別目立つネクタイをもういちど鏡にあててみてから、長谷川先生は、ちらっと流し目をしながらだれにいうともなくつぶやかれた。
「そうですね、これは素人衆には無理でしょう。やはり、わたしがいただいておきましょう」
忠臣蔵」で、おのおのがた、といったときのような、鼻に抜ける口吻だった。
 心配したけれど、川中島さんは叱られなかった。なんで文房具屋にとんでいって、とっとと色紙を買ってこなかったんだ、と社長に冷やかされた。川中島さんは、照れて赤くなった。ノートの紙っきれでもしあわせそうだった。そして、あとでそっと、「わだし、感激して、おしっこもらしそうだった」と告白した。